月記帳
再び新世紀小説バトル開始。どうなりますやら。
2001/10/31
新世紀小説バトルに参加。QBOOKSで作品が読めるので良かったらご覧になって下さい。
今月分の作品も投稿終了。
やはり人間の並列処理は効率が悪い。
一本づつ仕上げるのが吉だな。
スクェアの宣伝で「ゲームは所詮機械相手だから浅い云々」とか言っている奴があるが、あの理屈ほど間抜けなものはない。
ゲームを作っているのは人間。作家と読者の関係とどこが違う?
死んでもリセット出来るのが悪い? 本だって何度も読めるだろう。
知識人ってのは、ゲームが何か摩訶不思議な機械からうにゃうにゃ自然に生まれてくるとでも思ってるのだろうか。
そしてスクェア、その反証としてネットゲームじゃ、あの手の理屈を受け容れたも同じだ。ゲーム屋なら自分の作ってきたもんに誇りぐらい持ってくれ。
こと、表現の分野で「面白い」を手にした奴は成功者。どこに卑下する必要があろうか。
まあCMに目くじら立てるのも大人げない話ではあるのだが。
2001/10/28
短編書き上がる。明日推敲して投稿予定。
忙しい時は使い回し。つっても、以前使ったキャラクタを引っぱり出しただけだが。まあ数ヶ月後に本棚に並ぶだろう、多分。
新世紀は一応規定枚数だが、もう少し切り詰めようか。
昨日マウスの反応がなくなった。ポインタは動くがボタンが反応しない。
OSの不調か、マウスが壊れたか――端子が抜けかけていただけだった。
PS版『ヴァルキリープロファイル』プレイ中。
ファーストプレイはなんかエンディングBっぽい。特にAだのBだの出ないので判然としないが。
だとしてエンディングCってのは、よく見るアレだろうか。それとも今回のがそうだったのか? はてさて。
ラグナロク時、やけに強い固定敵が。「こりゃ相当な体制で挑まんと――」と、幾度となくチャレンジしたが無理。
その後、すぐ消える炎の利用法をやっと理解し、スルトの元に到達。
――ラスボス弱っ!
んなわけで二周目開始、ハードモード。
新たに出てきた実験場だの何だのというダンジョン。
仕掛けが相当面倒で大ハマリ。翌日紙で移動ルートを書いてみたら、一発でクリア出来た。
いくらオートマップがあっても、マッピングは大事な様である。
2001/10/22
同人誌だの何だの細かいものが集まって、どうにも多忙な日々。
もっとも、新世紀小説バトルは以前の作品の焼き直しで決定、ショートショートは投稿完了、なので、残るは短編と3000字。
短編は切り詰めたものを3000字にしてしまえばいいとして(二重投稿と紙一重。まあ片方はQBOOKSだからいいけど)、今ひとつアイデアが固まらない。
そうそうのんびりもしていられないぞ、ううむ。
同人ソフトによくある三分間シューティングは結構楽しい。
執筆前にワンプレイだけすると、調子が整う感じがして良い。
しかし、たった三分のゲームなのに、左腕が連射疲れする。シューティングってこんなに疲れるものだったろうか。
アニメ『サイボーグ009』始まる。
世界に発信予定というだけあって、堅い作りだぁね。
ところで第一話を見ていると、ハリウッド映画な感じが見受けられるのだが、意識しての事――だろうな。
敬遠を続けていたアニメ『コメットさん』、結局観る事にする。
コメットさんの声は素人っぽいが、何となく合ってはいる。オープニング曲もゆるい感じだが、それはそれで合っている。キャラデザイン(特に変身後)も今ひとつな感じだが、まあ許容範囲。
不思議な空気のある作品だ。
ちなみに「赤いコメットさん」とかいうネタは使い古されているので言わない。
PS版『ヴァルキリー・プロファイル』プレイ中。
現在チャプター7。主力メンバーは、侍、王女、歌うたい。
冥土送りにしたのは、弓使いの少年のみ。現在第十一神格。
魔法使い二人体制なので、打たれ弱いこと打たれ弱いこと。
移動のセオリーは大体掴んだ。封印値を上げずに評価値をゼロにしない方法にも気付いた。
後はクリアするだけ。
そして次回はハードモード。幼なじみ結構使えそうだから、次回は使ってみるかなぁ。
今嫌いなのはライフスティーラー。吸うな!
2001/10/13
YAHOO!がとんでもない利用規約を作っている。
要は「載っている全てはYAHOO!のものだ」というもの。ジオシティ自体はどうなるか。危険すぎる規約だが、一応ジオの方ではサイトに載っけた作品の著作権は作者側にあると言っている。
はっきり言って信用はできないので、作品を引き上げたいところだが、大きな流れが見えないのでひとまずこのままで行く。一応警告文を本棚に付けておいた。
PS版『ヴァルキリー・プロファイル』をついに買った。
移動にアクション要素というかパズル要素が多く、しばしば戸惑う。
何となく面白げではあるが、予めの知識がそれなり入ってしまっているため純粋な楽しみ方はできない。封印値が気になって気になって……。
牛丼屋の松屋を利用する事がしばしばある。
しかし外で食べるカレーはどうしてあんなに旨いのだろう。
香りが。
実際に食べると野菜も少ないし大したことがないのだが、香りは実に旨そうである。
「食べる前の味」ランキングがあれば、最高レベルに位置する事請け合いである。
ちなみに、あそこのカレーは紅生姜を山ほど放り込むと程良い辛さになって割と旨い。
今月もまた原稿の締切が差し迫っている。
同人誌の締切と、新世紀小説バトルがあるのが大きい。
同人誌は書き下ろしにするしかないが、新世紀はボツになった短編でも焼き直すか。
なんでこんなに時間がないのか、全くもって不思議である。
2001/10/8
米国がアフガンを空爆。
報復攻撃と言っているが、テロの実行犯がアフガンとはっきりしているのか? 容疑者を匿っているだけの国家に過ぎないんじゃないか?
なんだかねぇ。
テロ組織がはっきりと見えるならともかく、めったらやたらに攻撃してどうするんだろう。
しかも日本も補給部隊として加わるし(違う? 似たようなもんだ)。
あの首相危ないよ、やっぱり。
しかし新しい戦争とか言っているが、テロが引き金になった点では第一次大戦と一緒じゃない?
立場上、保険についてよく考える。
「困る事」がそんなに怖いだろうか?
明日の食べ物がなければ明日手に入れればいい。そういう感覚はないのだろうか。
手に入れる力がなかったら? そうまでなって困らずにいられると思うのか?
結局、不安要素を極限まで減らしたとして、やはり不安は残るのではなかろうか。
それなら、不安はむしろ受け容れ、共存すべきではなかろうか。不安はあって当たり前なのだ。
病気になるかも、事故に遭うかも、そうなった時に金がなくて困るかも、寂しくて困るかも。
その備えのために不本意な金を払い、仕事をし、今を過ごしているとしたらずいぶんと間抜けな話じゃないか。
という様な事をショートショートのネタにする事多し。
雑誌『少年ガンガン』(だっけ?)で、『ハイスクール奇面組』の続編の連載が始まった。
だが、今読むと野暮ったい。
笑いの鮮度の落ち易さは芸術的ですらある。
古今亭志ん生だか誰かが死んだとか。
どこぞのラジオで「こんな人は今はいませんから云々」という事を言っていた。
でも明日、小さんや談志辺りが死んだら、また同じコメントするんじゃない?
死んだ子に阿呆はいないとは言うけれど、持ち上げすぎるのもどうかと思う。特に、生きている相手を卑下して持ち上げる手法は、しょーもない事この上ない。
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