月記帳
中華人民共和国との関係がまた一つ冷えた月
2005/5/29
コミケがどうやら当選した様子。
見間違いでなければ。
ホームページ、番号でしか出ないからさぁ……。
8月13日(土)東へ01aです。
って、角じゃないかい、これ? だったらラッキーだが、配置図を見ないとはっきりとはしないなぁ。
PS2版『ドラゴンクエスト8』プレイ中。
空が飛べるようになり、谷の集落で葉っぱを貰ったところ。
そろそろラスボス戦か。
錬金釜で最強っぽい剣が出来そうだが、剣スキル全く上げてないからなぁ。
錬金というと、タネ類は全部素材に出来るようだが、効力が上がるような合成でもあるんだろうか――と、思いつつ、ほとんど使わずに残しているのだが、クリア前に攻略サイト見たくはないし、このままだとラスボス戦前にまとめて使うぐらいにしかならんかも。
2005/5/24
アニメ『ミルモでポン!』も、続行の様子。無印、ごおるでん、わんだほぅと来て、ちゃあみんぐだから、三年? 四年? 分からんけど、長寿アニメ決定。
早くから注目していただけに、自分の眼力が肯定されたようで嬉しい(マニア心理)。
で、この度NHKでアニメ『雪の女王』が始まったので、見始めた。
ポワロは何となくノーチェックだったが、これは何となく気配があったので。
で、観た感じ。メインの二人の仲良しっぷりが、逆に今後の不幸な展開を予感させ切ない。しかもエンディング小田和正。良い感じ。
PS2版『ドラゴンクエスト8』プレイ中。
婆さんの形見の最後の鍵で、各地の宝箱を奪い終えたところ。
金も貯まったので、魔法のビキニを買い、無意味にゼシカを先頭にして歩かせてみたりする。
改めて、パッケージを見る。
「全年齢」?
イリスは12禁にしてたくせに、ドル箱には甘いんだから。
2005/5/19
集英社『コバルト』ベスト・ショートショートにて、拙作『金丹』入選。よかったら見て下さい。
これでトップの黒冬さんと同点だ、いぇーーい(昭和の子供)。
前回全滅だっただけに、余計に嬉しい。
このまま勢いに乗りたいところ。
――俗物とか大人げないとか言うな。こういうのを食べて、モチベーションを持続しとるのだからして。ぺったん、ぺったん。
PS2版『ドラゴンクエスト8』プレイ中。
カジノで稼ぐべく、アニメ『魔法先生ネギま!』とか見ながら、100枚スロットを流していたら、50000枚ぐらい当たってた。更に、ルーレットの数字7点賭けで10000、20000と当てるうちに、ようやくコインが430000枚ぐらい集まった。
これで、メタルキングの鎧でそろえて、鞭貰って、隼の剣もついでに。
そうして、北の国へ行って試しに戦ってみたところが――。
割とダメージ食らうわ。まあ、いーけど。
コインを稼いだ量を考えてみると、最初のカジノではビンゴで20000枚ぐらい、大きい方カジノではスロットで250000枚ぐらい、ルーレットで200000枚より少ないぐらいか。一番短時間で稼げたのはルーレットだったが、ながらで出来るスロットがまあ、一番楽なのは特に珍しい発見でもないなぁ。
2005/5/17
PS2版『ドラゴンクエスト8』プレイ中。
殺人犯を殺し返し、カジノを復活させたところ。
最も効率の良いコインの稼ぎ方について思案中。
で、ルーレットで数字に賭ける*7というのが、ほどほど悪くない。
一つに500枚、七つで3500枚だが、大雑把に言って三割位の確率で当たり、リターンが28倍だから14000枚。四プレイ(大体五分ぐらい)までの間に当たれば、プラス。リセットもあまり必要にならない。
その後、試みに回した百枚スロットが、大当たりで100000枚出た。操作は方向キーを上に入れるだけなので、こっちが楽かなぁ、と思って柳の下のドジョウを狙ってみたが、今度は小当たりで20000ゴールド浮くのに三十分。時間がかかり過ぎる。7作目ではボタン固定でプレイを延々続けられたけれど、今回は出来なくなっているし。まあ、大当たりの確率がどれくらいか、だなぁ。
朝日新聞で、幼稚園に持って行かせる雑巾を、新品のタオルで作るべきか否かについてが記事になっていた。
幼稚園側の言い分としては、まずは台拭きやら何やらに使うので、使い古しのタオルでは衛生上の問題が云々、と。
えーと。
……雑巾ぐらい、幼稚園側で予算立てて買えばいーのでは?
何でわざわざ持って来させてんの? 手間かけて。
2005/5/11
JR列車事故で義憤に駆られて、置き石?
訳が分からんなぁ……。
犯人をとっつかまえたら「置き石があるかも知れないと注意して、スピードを抑えた運転するように促すつもりだった」とかなんとか言うんだろうけど。それとも「カッとしてやった」とか言うかな。或いは「酔っていたので覚えていない」とか。「大量殺人をしてみたかった」とか。
まあ、こんな事は事故前から日常茶飯事で、マスコミが取り上げるようになったから増えた気がしただけ、とか、JR側で警備を徹底するようになって、今まで弾かれていたものが見つかるようになっただけ、というよくある現象かも知れんか。
2005/5/9
PS2版『ドラゴンクエスト8』プレイ中。
逃げ込んだ殺人犯を捕まえるべく、遺跡の闇を払ったところ。
で。
折角船が手に入ったのだから、と、寄り道中。
モンスター闘技場でCランクまではそれほど問題なく勝てたが、Bランクで唐突に強くなり、全然勝てず。手持ちのモンスターで一番強いのが、動く石像で、それ以外はHPにして半分ぐらいだから、一回戦勝ち抜くのがやっと。モンスターの種類「物質」で揃えればボーナスは付こうが……。
姫様もようやく人の姿を見せた。自分を自分の名前で呼ぶのは、それなりに冒険な気もするが、「わらわ」っていうタイプではないし、「わたし」もしっくり来ないという消去法かも。
今回の話は、何となくだが、ヒロイックファンタジーというよりも、童話とかメルヘンな気がする。
昨日、林原めぐみのラジオで五月ネタ(就職しました、働くって大変です)の葉書を読んでいた。
で。
「理不尽な事で怒られて、頭を下げて一人前」
というフレーズもなー、どーなんだかなー。
それ自体が事実であるという事は認めるのだが、頭を下げる事が常態化していると、業務改善の意識が消失するんでないかなー、とか思う。
ともかく、「苦労が人を成長させる」のと「苦労した人間が偉い」というのは、何となく違う気がする。人間が発達したのは、苦労を排除するものぐさ精神ではなかろうか。
野比のび太が良い事を言っている。
「勉強して発明してやる、勉強しなくても頭の良くなる機械を」
2005/5/4
世間的に連休で、個人的にもバイトが休みであったりするので、今週は月曜と土曜しか拘束されない。
となると、そぞろの神が騒ぎ出すのは仕方のない事。
といっても、行楽地系はあんまし興味がなく、「館」類は地獄の混雑と思われる。
仕方がないので、代償行動として相鉄線にのっかり、一度も降りた事のない駅、相模大塚で降りてみる事にした。市で言うと大和市。
さて。
昼前というか、十時ぐらいに列車に乗り、十時過ぎには到着。
駅前にあるのは、駐輪場とコンビニ……。
典型的な田舎駅だわい。
駅前であるという自覚が全くない。
まあ、適当にぶらりと歩いて、昼ぐらいに帰ろうか、と思いながら進む。
いわゆるDIY(てめえで良い具合にやりやがれ)系に、マクドナルドとかがめり込んだ店舗を発見。ちょっと覗いてみようかなぁ。
あれ、そこな女の人は、駅から同じ向きに歩いている人だ。
行き先が同じみたいだけど、ここまで一緒だと不審者っぽいし、ここは別方向へ(李下に冠を正さず)。
で、別の道を進む。
ああ、バーミヤンがある。遺跡でない方の。
時間が早いから全然人いないけど、帰りに昼頃だったらここで済ませてもいいなぁ。まあ、あんまり食い気は湧かないけど。
更に進んでいる最中に、空を飛び交うジェット機の爆音が。
この辺は基地が近いらしい。
海老名もまあ、やかましいが、こっちは尚の事だなぁ。いわゆる、車輪を出している飛行機が見える場所だし。
進むうちに、何となく行き止まりっぽいので、左へ曲がった。
畑があり、看板が。なるほど、農協がらみか何かの青年団体が作っているらしい。
「我ら超菜野人」
……駄洒落として間違っています。
キミキミ、ちょっと職員室来なさい。
いいですか、ドラゴンボールのあれは、元々野菜をもじったものなのです。それが野菜に通じるというのは、前提なのです。駄洒落というのは、基本的に関係のない二語の間に、音などによって関連性を見出すものであって、関係のあるものの間にある類似は、駄洒落たりえないのです。それはつまり、西鉄ライオンズと西武ライオンズをかけるようなものです。フニャコフニャオと藤子不二夫は似ているな、などと言うようなものです。駄洒落として成立するのは、ライオンズと花魁ズ、藤子不二夫と無事故無為反という方向性なのです。
と、看板製作者にテレパシーでツッコミを入れた後、進む、進む進む。
なんか遠くに樹が見えるので、あの先に行って、ちょっと視界が開けた辺りまで行ってから帰ろう。
と、てくてく歩いていると、ふと、右手の方角に案内板が見えた。
「←相模大塚駅 泉の森→」
公園……か?
見れば、林の中の一本道という風情の細い道。
中に入っていいやら悪いやら分からないまま、ともかく林の中へ入ってみる。
すると、やはり林。
ただ、木に「この木の名前はなーんだ?」式のプレートがかかっているので、一般公開はされている場所らしい。
しっかし、これは入り口としてはどうかと思うけど、と、少し進んだところで、林が切れ、池が見えて来た。
やや。
ぱっと開け、道もあり、バードウォッチャーやら親子連れやらが色々と。
普通の自然公園系に早や変わり(変わってません)。
そっか、ここは初めて来るところだなぁ。
という訳でなし崩しに今月の「遠くへ行きたい……って訳でもないんだが」は、都会? のオアシス、泉の森です!
自然公園系という事もあって、池には葦なんかが生えており、鳥も何種類か見られる。
上を渡している鯉のぼりは、はっきり言って無粋だが、まあ時期が時期だけに仕方ないか。
池に向いたベンチに座り、しばし池面を眺める。
綺麗な水という訳でもないので、あんまり見てて心洗われるとかではないが、まあ鳥も悪くはない。
一休みも済んだので、公園内を歩く事に。
公園は盆地というか、谷川状になっており、両脇が林。所々橋や国道がぶち抜いているのが何だが。
草花類が色々生えているのを眺めつつ歩く。
親子連れがやはり多い。
もっとも、この程度なら許容範囲だな。程ほどの人気のなさがこの時期は有難い。この時期以外の平日なんぞだと、さぞかし静かなこったろう。
池を少しさかのぼる(下る? 流れがよく分からん)と、子供たちが網を持ってガサガサやっている。いいのかなー、と思ったら、生き物採集が許されているポイントだった。へー、そんな公園もあるんだなぁ。
他に、水車があったが、安全対策だか何だか、やけに車輪が高い位置にあった。意味あっての事なのかな?
それから一通り草花を愛でたので、脇の建物に入ってみる。
売店か何かと思ったら、自然観察センターという、資料館みたいなところだった。
中には、この公園や近辺で見つかった生き物や資料が展示――というと聞こえは良いが、良くできた中学生の自由研究みたいな感じの展示が色々。
ブラックバスで生態系の話とか、蜂で対処法の話とか、蛇の抜け殻で「君の身長と比べてみよう」とか。
まあでも、活字を読むというのは、それはそれで面白いので、展示物を一通り見て、ついでに二階の野鳥の写真も見た。野鳥写真というと、カワセミな訳だが(そーだろうか)……カワセミって、集団生活する習性でもあるんかね? 二羽、三羽の写真がいくつかあった。
自然観察センター内に、パンフレットがあったので貰う。側に「資源節約のため一人一部にして下さい」とか書いてあったが、普通こういうパンフは一部しか取らない。自然保護系でテーマが固まっているのは分かるが。
自然観察センターを出た後、「緑のかけ橋」なる吊り橋っぽい橋を渡る。
ぽい、というのは、何だか工法が少々違って「吊り橋とは構造的に異なる」からなんだと。で、そういう観点から言うと、この橋は世界一なんだと。橋よ、工法別に世界一を誇るな、みったぐない。
それから、木のテーブルの置いてある、メルヘンで言うところの「森の中のレストラン」風の場所を通る。と、シイタケらしき菌床があった。時期ではないらしいが、取り残しのような小さいヤツが見える。何だか懐かしい感じだなぁ(幼稚園時、山梨県居住)。
公園で見られるものは、もうないなー、と思って歩いていると「郷土民家園」の案内が。
よく分からないので行ってみると、昔の農家が二軒展示されていた。
一軒目に入ってみると、「農家の年中行事」という資料が付いていて、しばし読みふける。
ふむふむ、一つ目小僧が災厄分配の帳面を付けに来るから、目のたくさんあるザルをかけて追い払い、帳面を預けられているところの道祖神でどんと焼きをやって帳面を焼き捨てる、か。タチ悪いな、人間。つーか、この場合の一つ目小僧って、どういうジャンルの妖怪なんだろう。一神教だと良い事も悪い事も唯一神の仕業で、そうすると全部この手の仕事をするのは御使いだが、多神教だと別の所属かも知れない。
かまどを見つつ、「へっつい幽霊」のへっついは、こんなサイズだったんかなー、と思ってみたり。
二軒目では、柱の削り方の跡が確かに手斧なんだろうなーと関心したり、自在鉤の由来を見ながら、実際にはどう使うのかやっぱりよく分からなくなったり。
そうして一通り見た後、入った時と同じように、あんまり明確な区切りなく外に出て、駅に戻った。
海老名に戻ったのは一時過ぎぐらい。ショッピングモールで缶ビール飲んで、松屋でカレー食べて帰った。
・おまけ
家に戻って、昼寝をしていたのだが。
ふと起きると、布団がえらく汚れている。
何事かと思ったら、ジーパンの裾を折った中に、枯葉の欠片が入っていた。
そんなに汚れた覚えもなかったんだが、やっぱりああいうところ歩くと違うんだなぁ。
・おまけ2
パンフレットをよく見直してみたら、泉の森には隣接してふれあいの森という公園もあるらしい。
位置は、大和駅の近く……。
あれ?
なんか、前、大和駅から公園に行った事があったようななかったような……。
まあいいや。
相模大塚降りたの初めてなのは確かだし。
2005/5/1
列車事故の話。
「ダイヤ重視が、このような大事故を生んだ」
という論調は、正しくないのではなかろうか。
ダイヤを守る事は重要なのであって、さもなければ列車は衝突してしまう。少なくとも、秒刻みのスケジュールで電車が来る事は、世界に誇れる部分である。
問題は、ダイヤ通りの運行を達成するための手段が、罰則を前提とした個人の技量任せであったという事だ。
「遅れた」という状況を定義し、対処法を定め、守り、現実に即して修正する。誤り著しい個人には再教育を施すが、それは懲罰ではなく、あくまで教育とする。何故なら、懲罰は懲らしめたらおしまいだが、教育は習得するまで終わらないからだ。
何はともあれ、責任者やら車掌やらの自殺事件に繋がらない事を願いつつ、ペンを置きたいと思います。つーか、そもそも手に取ってないし、ペン。
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