月記帳
藍川県物語オフライン版に引導が渡された月。
2005/8/25
高校野球優勝校暴力事件。
バツラジでは、「たった一人の人間の暴力事件の連帯責任で、優勝取り止めなんかにしてしまっては、選手が可哀想だ」というような事を言っていたのだが、これ、どんなもんだろう?
別に高校球児とやらが、煙草吸おうが、バイクで事故を起こそうが、有り余る若さで強姦連続殺人事件起こそうが、当事者を罰するだけで、全く関係ない知りもしなかった他の部員を連帯責任にする必要というのはなかろうが、問題は、これが、指導者の行った暴力だという事。
連帯責任――って話ではないと思うんだな。
これを個人の処分で済ませた場合だね、「大会優勝のために指導に力が入って殴ってしまう事もあるが、オレが処分されるだけだ」という英雄さんがいっぱい出るんではないかと思うんだな。
現実問題として件の学校は強かった。その意味では「極めて効果的な」指導法である事は、疑うべくもない。だとすれば、この優勝が無批判に残る事は、この指導法を肯定する事に繋がる。
簡単に言うと、ドーピングのようなもんではないかと思うんよ、これ。
2005/8/19
夏なんてのは、夏休みがあって、暇はむしろ多いものな訳だが。
バイトは夏休みないし、文筆業は言わずもがな、しかも法事だのコミケだのがぶち当たり、時間が取れない。
そこで今月の『遠くへ行きたい……って訳でもないんだが』は、確かに遠くない、TOHOシネマのプレミアスクリーンです!
何かあったら、のために用意しておいたお手軽初めて安牌の一つですな。
「今月はどっか行く場所とか時間とかねえなー」
と、思いつつ今日。
起きると十時過ぎ。
今日逃がすと、月末追い込みムードになるしなぁ。
でも、遠出する元気はないし、そもそも夏ほど外出に向かない時はない。
暑いし、子供多いし。
んじゃまあ、映画やっとくか、映画。映画館は行った事があるが、プレミアスクリーンは見た事がない。なんか豪華という噂ばかりが先行していてさっぱり分からんのよねぇ。
という流れで、まずはネットで確認。
スターウォーズ辺りが妥当なのだが、二列表示になっていて、午後九時頃の開演がプレミアスクリーンで、それ以外は一般のスクリーン、か?
他には……と、あああった。
ハービィと電車男。
……どっちも(どうでも)良い感じの映画だが、別に今回は映画を見に行く訳ではなく、映画館を見るわけだから問題ないか。
と、ハービィは、もう上演時間過ぎてる。
って事で、12:15からの電車男かねぇ。
軽く朝の用を済ませ、十一時過ぎ頃に出発。
映画館に到着する。
相変わらず甘ったるいキャラメルコーン(違うポップコーン)の匂いがたちこめるロビーで、上演スケジュールを改めて確認する。
んー、やっぱりスターウォーズのプレミアスクリーン版は、夜だけだわ。
それじゃ、電車男か。
チケット販売のレジへ行き――。
「電車男一枚」
「どちらの座席になさいますか?」
見せられたのは、極めて大雑把な座席図。
「んじゃこの辺り」
「C列7番目でよろしいでしょうか」
「はいはい」
ガラガラなんだな、つまり。
「1700円になります」
そう、特に大人気映画でもないので、通常料金なのだ。
本来二千円以上するので、お得と言えなくもない。
しかし通常料金って事は、割引とか効いたのかなぁ。ホームページに割引券あったんだけど。
「開演十分前に開場になりますので」
と、チケットを受け取った。
ひとまず、向かいのゲームセンターで開演時間まで潰して、時間になったのでいざ。
封鎖されていた二階への階段が開いている。
そして上がると、ああ、待合スペースになって、みんな座ってる。
ええと、どうやったら中に入れるのかな?
前の人が横に曲がって入ったのは――なんだ、トイレか。
隣の部屋は、ちょっとバーっぽくなっているけれど、別に商売していない。イベントごとがないと営業しないタイプの売店だろうか。
しかしそもそも映画館というのは、その大半を映画館内で過ごすものであるから、その前に何があってもあんまし関係はないんだわな。このバーが活躍する機会ってあるんだろうか……してないから、営業してないんだろうけど。
何か飲み食いしながら観るのも手なんだろうが、この歳で一人前のポップコーンとか食ったら胃もたれがしそうだし、別に腹も減っていない。水物を飲んで上映中にトイレに行きたくなるのも興醒めだし、何と言ってもわざわざ下の売店まで折りて買うのが面倒だ、という事で手ぶらで観ることに決定。
「開場します」
の声がかかり、バーの前を横切り、入り口へ。
待合スペースと区切る意味がよく分からんな、これ。
それから中へ入ると。
小ぢんまりとした映画館で、椅子の数が少ない。
横の数は15ぐらい、縦は4列6列の10列。
席を見つけて腰掛ける。
うぉう、椅子でかい!
どっかり座って左右に拳一つ分ぐらい幅がある。
しかも背もたれが大きく作ってあり、倒すことも可能。かなり近くでも、観易いポジションが作れる。
そして足元には酒を呑むところの「バー」の語源になった、足休めの棒付き。
うむ、これは座り心地が良い。
傍らに小さなテーブルもあり、ジュースとポップコーンぐらいなら問題なく置いておける事だろう。
いわゆる劇場の窮屈な椅子とは違うんだな。
上演中も、足を伸ばす、足を組み替える、膝を抱える、もぞもぞ動くなど、多彩なアクションが可能で、終わってから腰が痛いとか、肩が凝るとか、尻が痛いなんて事は全くなかった。
なるほどねぇ。プレミアは伊達じゃない感じ。
うんうん、よき哉よき哉。
その後は、外に出て昼飯代わりにレーベンブロイなんぞを呑んでから帰った。
?
なに?
電車男?
面白かったけど、それが何か?
2005/8/18
法事やらコミケやらでバタバタが続く日々。
来週ぐらいには落ち着くかしらん。
ともかく、コミケの申し込みは完了。
コミケというと、例によってコスプレウォッチ。
今回見かけたのは、ナルトと――ブリーチが多かった。
ブリーチは、話自体の面白味以上に、死神装束の分かり易さがあった様子だが、真夏に黒装束は辛かろうなぁ。
ブリーチの死神は、刀が必須アイテムだが、コミケは武器関係は禁止なので苦労していたようで、柄だけ、なんて人もいた。その点、幽遊白書の桑原なんかはやり易かったに違いない。やる人少なげだし、やっても「熱血硬派くにお君の、オープニングで殴られるお友達ですか?」とか言われそうだけど。
ナルトは継続的に。
夏でも比較的涼しげなツナデの姿も散見した。
アニメの色が正しいのかどうかは不明だが、装束がオレンジではなく黄色の人がいて、なんだか理解するのに時間がかかった事もあった。
同じジャンプもののアニメ化なのに、圧倒的に少なかったのがアイシールド21。
話自体は十分面白いと思うのだが、始まってから間がないからか、美形と言えるキャラが主人公チームにほとんどいないからか、選手をやっていたのが一人、アニメ未出のチアガール姿が2、3といったところ。まあ、冬になると、もう少し出るかも知れないが。涼しくなるし。
他に、大勢といったものはさほど目に付かず、カメラ小僧の人垣が出来ている対象は「作品人気つーか、露出が多いだけでは?」なものだった。特に人が集まっていたアレ、ただのスクール水着だった気すんだけどなぁ……。
希少だが何となくありふれた印象があったのは、ガチャピン、ムック、めそ、アルフォンス・エルリック、ラムなどなど。
ありそうでなかったのは、ふしぎ星のふたご姫のファイン&レイン。冬に期待なのは、ガン×ソードのバン(ヴァン?)、月影先生――月影先生はどうかと。
そんな中の、インパクト賞は。
凡庸なヘルメット、風に飛んでしまいそうなダル、青一色のジャージ。ああ、それなのに、思い出したさ。自分が偉いね。
金メダルマン。
小学校低学年の頃、友達の家で読んだ覚えがあった程度なんだがねぇ。
2005/8/15
コミケの申し込みは、17日(水)消印まで。
せめて一週間ぐらい――と、いって一週間になったら、せめて二週間と思うだろうけれど。
それにしても、開催終了から三日、しかも申込書は会場売りのみ(だった……よなぁ?)というのは、無茶な話だ。
コミケは概ね盛況。まあ、まとめ買いしてくれた人の影響が大きい(それぐらいで左右される部数)のだが。
盆の法事で、親戚で集まった。
こういう、名前を知っているのが当然に思われている人の集まりはまことに居心地が悪い。
「覚えてる?」と言われた時に「覚えてません」と、すっきり言えるようになると良いのかも知れないなぁ。
終戦記念日。
戦争を正しかったと思うかどうかは、多分にセンチメンタリズムの影響を受けるのは、よく知られるところ。
「正しくなかったと言われたら、戦死した父の立場はどうなる」
しかし、センチメンタリズムというヤツは、厄介なもので。
「正しかったと言われたら、戦死した父の立場はどうなる」
でも通じてしまう。
この辺が感情の限界、生き物の限界。
だから結局、ここは宇宙で唯一の「発展するもの」科学さんの出番なのかも知れない。
科学的裏付けを持った「人類にとって戦争は有益か、無益かの数量的比較」。
経済発展が――とかいうミクロな視点の話ではなくね。
2005/8/9
個人誌を作ろうとしたが、ワードにあるらしい中綴じレイアウト機能もイマイチ使えんし、手動でやるには融通がきかなすぎる。
今更切り貼りで版を作るのも興醒めだし、このシリーズは前回の十巻をもって打ち止め決定。
一太郎買った方が良いのかなぁ……でも、金は使いたくないしなぁ。フリーソフトで何かないかなぁ。
――職業物書きの端くれなんじゃから、そういうとこにこそ金を使えって。
2005/8/7
子供の絵を評価する話。
「固定観念に囚われた大人と違って独自の発想が良い――云々」という論説がある。
家庭を含めた教育現場であれば、確かに写実的優劣のみをもって(そもそも絵心があるとは限らない大人が)子供の絵を評価する事は、見当外れであるし、絵画への第一段階として絵が好きになるためには、上記の論は十分有用であろう。
が、だからと言って、子供の絵はそのままで良いとか、絵手紙やら何やらのように絵画の訓練が害悪でしかないという話ではない。
何となれば、子供はそのように描こうと思って、そのように描いてはいないからである。
紫色の宇宙的恐怖をもたらす塊を子供が描いたとして、その子供が「これはキュア・ホワイトだ」と言ったとすれば、彼の理想形は、表現したかったものはあのアニメ絵ではないか?
とすれば、再編集されて「ラブクラフトへの憧憬」とでもタイトルを付け替えない限り失敗なのだ。そして、「ラブクラフトへの憧憬」のタイトルを付けた時点で、作品は編者のものになり、子供の「表現」も「作品」も霧消する。
絵描きは何故絵描きになる為に絵の訓練をするのか?
文士は何故、文章の鍛錬を行うのか?
音楽家はどうして練習曲を演ずるのか?
野球選手は何故素振りをするのか?
陶芸家はどうして失敗作を割るのか?
それは全て、自分のイメージを、理想を、出来るだけ忠実に表現、実現出来るようする為である。
その過程を経ない、いや、最低限の意識さえしない「子供」の「作品」を安易に評価するのは、無茶な話であろう。
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