月記帳
ATOK再び。
2006/2/24
コミティアで歩のスペースに立ち寄って下さった方々、ありがとうございました。
長編を書こうと思い立ち、書き始めたら。
日本語入力でどうにもこうにも引っかかるので、一念発起してコジマまでひとっ走り、ATOK2006を購入した。
マシンをこっちに移行した時から(ATOK8→MS-IME2003)、どうもウィンドウズ付属の日本語入力の感触に違和感があった。その時は「まだ使い慣れていないから」とか「ユーザ辞書の違いかなぁ」とか、多少の言い訳の余地もあったのだが。
今回のATOK導入で、やはりその感触は現実のものである事が分かった。
餅は餅屋、日本語は日本のメーカーである。
まあ、やっぱり文節区切りが的確なんだよねぇ。
わざわざ追加で買うんだから、当然と言えば当然なとこではあるけど。
ベタ打ちの変換でもこれぐらい↓差が出る。違う語が出るのは良い。けれど、文節の区切りを間違えられると、四倍ぐらい手間が増えるのだ。
古池や買わず飛び込む水の音←ATOK2006
古い毛や皮図飛び込む水の音←MS-IME2003
我と来て遊べや親のない雀←ATOK2006
我と来て遊べ八百屋のない雀←MS-IME2003
遊べや←ATOK2006
遊べ屋←MS-IME2003
2006/2/11
コミケ申し込み完了。
十九日にはコミティア。
可能であれば、ジャンプノベルへの投稿作を作ろう。まだ、プロットの草稿しか書いてないが。
アイドルに恋人が、結婚が許せないファン心理というのはどんなもんだろうという話。
憧れる相手には幸せになって欲しい、というのも理。
いつかは我が手に、と思っているからこそ、それ以外の誰かと付き合う事は許し難しという、独占欲も理。
でも、そういう理に適った話というより、アイドルは永遠にアイドルであって欲しいという願望故の感覚なのではなかろうか。そして、その場合のアイドルとは、字義通りの偶像であって、一個の人間ではない。恣意的に演出され作り上げられた「アイドル」と、それを補完するファン心理(妄想)が結晶化したもの。早逝したアイドルやスターが伝説になるのはその最たるものではないか。
無論、ファンたちも一常識人であるから、そんなアイドルが実在し得ない事を知っている。その、今はやりの映画で言うと、冷静と情熱の間のようなファン心理を、より特化した偶像崇拝者は冷静に定義付けている。
好き、でなく、憧れ、でなく、愛情でもなく、「萌え」と。
2006/2/3
春節とは旧正月を表す。
現在の日本では、旧正月というのは祝う事もなくなっているが、僅かに残っているものもある。
すなわち、節分である。
立春の前日に厄を祓う追難に由来すると言われる節分の豆まきは――。
正直地味なイベントである。
しかし、場所によっては賑やかである。
賑やかであるに違いない。
賑やかだった写真を見た事があるような?
今回の『遠くへ行きたい……って訳でもないんだが』は、成田山新勝寺の節分会です。
「そーいやぁ、豆まきやるとこ行った事ねーなぁ」という程度の思い付きで、それっぽい事をやる場所を探し始めた。
と、横浜で一つ見つかり、これでいーかなぁ、と思いつつも、もう一件当たってみると、成田山新勝寺が。
『ゲストに大河ドラマ出演者や朝青龍など……』
それだ。
昔、ジャポニカ学習帳か何かに書いてあった、相撲取りが豆をばらまく図、正しくそれだ。
そうなれば、話は早い。
場所は――成田ね。
どれぐらいかかるかなー、と。
駅すぱーと検索。
えーと、2じかん30ぷん……。
遠っ。
千葉かー、そっか千葉かー。
千葉って言ったらこち亀の大原部長の家がある、あの秘境だもんなぁ(失敬な)。
えーと、豆まきは十一時と十三時三十分と十六時にあるけれど、十一時に間に合わせようとすると電車が――町田から新幹線とかはボツにして――新宿からJR船橋に行き、京成船橋に乗り換えて成田へ至るのが、この時間では一番安いみたいだけど、出発時刻は。
八時七分。
ってことは、七時前に起きるのかぁ、早いなぁ(軟弱者)。
まあ仕方ない、帰りが変に遅くなるのも真っ平だし。
そして当日。
目覚まし通りに起き、さっさか出発。
心持ち早く出たお陰で、一本早い列車に乗れた。
新宿に到着し、船橋へ。540円なり。
中央線快速から、総武線に乗り換えて、錦糸町で総武線快速に乗り換え。
んー、今度来る電車は快速だけど、予定していた電車はその次の特急だなぁ。追い越しするのかなぁ、と、迷っていると、構内放送が。
『只今、列車に遅れが出ております――』
じゃあ、ともかく来る奴に乗るしかないわな。
快速でつつがなく船橋に到着した。
さてさて、京成船橋駅は何処――。
何となく表示のある方へ進むと、駅を発見。
券売機の前に来ると。
あれ?
運賃表に成田が見ない。
どーして?
成田、成田……なんか、東京の方の駅ばかりが書いてあるなぁ。
ふと振り向くと、向こう側の線路に丁度来ている列車が、成田行き。乗ろうとしていたヤツだ。
なんだ、駅が上り下りで分かれてるんかい!
反対側へ回ると、果たして成田行きの料金表があった。
成田までの520円の切符を買い、ホームに入る。
まあ、元々三十分ぐらい余裕を持たせてあったからいーけど、無駄に待つ事になってしまった。
ようやく列車が到着して、乗り込む。
しばらく進むと、人家がまばらになって来た。
はー、この辺は田んぼがやたら広いなぁ。山がなくて見通しがやたら良いから、あんまり田舎のイメージが強くはないけど。
進むにつれ、次第に乗客が増えて来た。
まあ間違いなく節分狙いかな。
成田空港行くんだったら、スーツケースぐらいは持っているだろうし。
ようやく成田につくと、どやどやと降りる人たち。
さて、成田山新勝寺は何処。
えーと、こういう場合は、大概案内が出ているもんだが――と、探すと。
迎春の門のようなものが。
正月かよ!
……全く違うかと言われると、そうでもないが。
人の流れに合わせてダラダラと進む。
と、すぐに参道、つまりはお土産街に入った。
食い物屋と土産物屋が並ぶのは特に珍しくない。
しかし、この辺の名物って何だ?
たまにはバイト先に土産の一つもと、思うのだが――。
漬物、煎餅、ふりかけ……。
なんかこう、どこに行っても売ってそうなものばかり。
土産物に斬新さは求めちゃいないけどさ、名物を名乗ってくれよぉ、買い難いなぁ(知らないのが悪い)。
食い物屋については、名物なのかどうかはよく分からないが、うなぎ屋が多い気がする。
店先で裂いていたり、骨がザルに並べて干してあったり。
うなぎねぇ、食いたいけども、なんかこう、いわゆるチェーン系でない食い物屋ってのは店に入る事自体にハードルがあるんだよねぇ。ショーケースの中にホコリをかぶった食品サンプルがあってボールペンとマジックか何かで「オムライス 900円」とか書いてあるとさ、だったら日高屋でラーメンでも食べようかって事になっちゃうんだよねぇ。何だろうなぁ、これは。対人恐怖か。タイ人恐怖、ムエタイか。
十一時間近なので、速足で進んで行く。
と、ようやく新勝寺入り口が。
『出口専用 ここからは入れません』
……出口でした。
気を取りなおして入り口から。
入ると、人の流れが出来ており、正面の階段を登って門をくぐっている。
ああ、あの先だな。
迷う要素ヒトカケラもナシだ。
登っていると。
『肩車は大変危険です、お子様は降ろして下さい』
放送が聞こえる。
肩車を規制するって、少々酷いような気もするけれど。
いや、待て。
そうか、これから行われる豆まき、コミケのように行儀の良い人ばかりが集まっている訳ではない。
――シミュレーション中。
なるほど、危ない。
降ろせ、子供を。
石段を登り切ると、仁王像があり、鐘のでっかい奴みたいなのが下がっている門をくぐる。
でかい門だなぁ。
もっと細かく見たいのだが、立ち止まり禁止の放送がかかっているので、進むしかない。
そして豆まき会場であるところの、大本堂前に到着すると。
うわ、人だらけ。
「立ち止まらないで下さい!」
警察のアナウンスに押されるように、右へ右へと進んで行くと、多少は人の薄い場所に来たが、大本堂は遥か遠く。
ただ、平日という事もあってか、周りの人々は中高年が多くて身長が低く、見晴らしは良い。
人の間が開いていたので少し前に出たが、大本堂の正面階段から一段高い通路が作られており、それが豆まき用の足場になる様子で、豆を投げても今一つ届きそうにない距離だなぁ。
しかし、新勝寺は初めて来たけれど、大本堂でかいなぁ。
こう、一般的な御堂を三倍に膨らましたような感じ。出雲大社と似た設計理念とも言える。振り向くと三重の塔があり、これは大きさもさることながら、柄がとても派手。中華街もかくや。
程なく、十一時間近になったところで、アナウンスが入った。
『実際の豆まきは二十分頃になります』
その辺は想定内だ。
流鏑馬の時を思えば、早い位である。
それまでは、中でやっているお経が放送で流れていたりして、これも流鏑馬の時と近い感じ。
それから、豆まきに参加する年男、年女の名前の読み上げが始まった。
ぼんやりと聞き流していると、最後の方になって、朝青龍や仲間由紀恵の名前が出て、みんな「おお」とか歓声を上げたり。
豆まき開始間近になって、注意のアナウンスが入った。
『押さないで下さい、その場から動かないで下さい、しゃがむと危険ですので落ちた豆は絶対拾わないで下さい』
……まあ分からんではない。
分からんではないけど、どうしても人は群がってしまうだろうなぁ。
これを完璧に防ぐ方法も、ない訳ではないのだが。
全員が、その場にしゃがむ。
まあ、膝とか腰とか弱っている人には無理なんだろうけど。
時間となり、まずは年男年女の一般人が出てきた。
赤い裃を着け、手には升。階段のある中央ではなく、左右の手すり付近に並んでいる。
そして、中央に後から出て来たのが――なんか相撲取りを含む人たち。
役者もいたのかも知れないが、相撲取りの存在感にはかなわない。
自分は相撲取りの顔は把握していないので、誰か分からない。見分けが付くとして、小錦と琴欧州ぐらいのもんではなかろうか。
しかし……裃がピンクだよ、相撲取り。
なんか、もう少し厳か風味にしても良いんじゃないかって気がするけれど、割と浮かれ騒ぎなモノだからこれぐらいでいいのか。
『成田山新勝寺の豆まきでは、福は内とだけ言います』
と、どっかで聞いた感じの説明の後、豆まきが始まった。
誰とも知れぬ坊さんの「福は内」の声の響く中、相撲取りやら年男年女やらがバラバラと小袋に入った豆やお守りをぶん投げる。
あれって少し憧れるよなぁ。
小学校の頃、豆まきって行事はあったけれど、投げる為の豆が十粒ぐらいしかなくて、一回投げておしまいだったから、一度がばと掴んでババッと投げてみたいと思ったもんである。
豆が飛び始めると、忠告もどこへやら、みんなドドドと前へ前へと出て行く。
豆が欲しいか欲しくないかと言われれば、確かに欲しい気はするが、こう、どうしても欲しい人よりも欲しくはないし、豆を欲して手を伸ばす姿が浅ましくも見えたので、特に前に出る事はなく、その場で人をかわしながら飛ぶ豆を眺めていた。
貰えるかもと思うから、貰えない時に悔しくなる。足るを知れ、というヤツ。仏教精神だった気がするんだが。
地面に落ちた豆を拾うなとは言っていたが、あの様子ではそもそも地面に落ちる前に誰かしらが捕まえていたこったろう。
かなり景気良く投げてはいたが、結局欲しい人を相当に残したまま、豆は尽き、豆まきは終了した。
みんな、ゾロゾロと帰ったり、他の場所を参拝に行ったりし始めたので、自分もその場を離れ、軽く歩いてみた。
上の方にある平和の塔というのを見ておこうと思い、進んでみると、割と距離がある。
敷地内に公園があるようで、本当にでかい。川崎大師もなかなかに大きめだったが、格が違うといったところ。
それから、平和の塔に到着すると、またこれがでかい。
こう見上げるとぐあーーってのしかかって見えるぐらい。
いちいちが大きく驚かされるが、どちらかと言うと、地味な寺の方が好きではあるなぁ。
ここでは適正価格で食事も出来そうになかったので、長居はせずに新勝寺を後にした。
その後、船橋の吉野家でビールと豚丼を食べ、秋葉原のヨドバシカメラなんかをちょいと覗いて帰った。知らなかったのだけど、秋葉原で下車してから新宿に行った場合と、直通で新宿に行った場合とで、運賃一緒なんだな。
海老名に着いたのは四時過ぎ。いやー、遠いは遠いな。運賃は往復で三千八十円だから、思ったよりは安いけど。
家に帰ったら、夕刊に成田山の豆まきの記事が載っていた。
一番手前に見えた相撲取りは、朝青龍だったらしい。
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