思い立ったが随筆


 日々思う由無事を書き連ねています。



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2009/1/28 『遠くへ行きたい……って訳でもないんだが 神奈川』
 個人情報なので一切分からないように内緒にしていたが、ごんぱちは日本人で、しかも神奈川県民である。
 そしてこちらは世界の九割の人が知っている程度の常識ではあるが、神奈川県の県庁所在地は横浜市である。
 横浜駅は交通のアクセスもそこそこ良く、自分としても行きやすい場所で、ルー大柴も大好きらしくて、まあ、行きつけと言って良い部類である。

 ……じゃあ、神奈川は?
 県の名前である筈の神奈川は?
 んー、東神奈川駅はあるけどねぇ。
 うん、どこかにあるユートピア的、それは私たちの心の中にあるのです。
 というような事はなく。
 京急線にきちんとあるのである。神奈川駅が。
 てか、あったんだ。
 全然気にしてなかった。

 つことで、今回は灯台下暗し、神奈川駅です。
 JRにスルーされてる辺りなんなんかなぁ。

 場所は、というと、横浜駅をぐーぐるまっぷで見て、ちょい倍率をいじると発見出来るぐらい。
 えらい近い。
 横浜から歩けそうだな、こりゃ。
 念のため地図をプリントアウトしてから出発。
 横浜へ到着した。
 ええと、アニメイト方面の出口が右だけど、左から出て、後は線路ぞいにズルズル歩くだけだな。

 歩いている。
 歩いている。

 歩道を広く取った道だな。
 いや、それよりも、車道が狭くて無駄にクネクネしているのが如何なものかとも思う。
 ひょっとするとスピードの抑制とかだろうか。うーむ。
 つらつら歩いていると、線路を横切る橋が見えて来た。
 そしてその橋の袂に、駅が一つ。
 あ、これだ。

 近っ!

 ここまで130円出して列車に乗る行為には、罪悪感が伴いそうな近さだ。
 新宿――代々木と良い勝負。

 駅舎は日本家屋を真似た形の屋根をしている。
 さて、近付いてみよう。
 ちょい遠回りになるけれど、歩道橋へ回って、と。
 って。
 何だこの歩道橋。
 揺れ方が半端じゃない。
 崩れない? 本当?
 高所恐怖があると、揺れて無くても揺れてる感じがするけれど、しかし、それを差っ引いてもかなり揺れてる気がするなぁ。
 辛うじて今回は「当たり」ではなかったらしく、無事に歩道橋を渡る事に成功した。
 さあ、神奈川駅神奈川駅。

 駅の前には、「神奈川宿歴史の道」なる能書きの付いたプレートが立っており、神奈川宿の説明が書いてある。
 ふむ、他聞に漏れず街道の宿場町だが、神奈川条約締結後にここら辺の寺社が領事館なんかになって色々使われた、と。
 寺社をそのまま使ってたのか。
 大使館とか領事館と言ったら、山下公園近辺にありそうな、西洋建築の建物のイメージだけども、突然開国したからそりゃ新築するのも難しかった訳か。
 駅の中に入ってみると「関東の駅百選認定駅」というプレートがあった。
 凄いのか凄くないのかよく分からんなぁ。
 「素晴らしい駅」なのか「昔の地名を残してる駅」なのか「名物駅長さんがいる駅」なのか、何にも基準らしいものが明示されておらんし。
 ちょいと調べてみると、運輸省が特徴のある駅を公募して選考したらしい(出典)。
 で、これを使ってスタンプラリーなんかを行っている。
 簡単に言うと、売り上げアップの為の策略ですな。

 神奈川駅は改札とホームぐらいしかないちっこい駅なので、周囲を散策する事にした。
 すぐ近くに「宮前商店街」なる商店街があるので、歩く。
 歩く。
 歩く。
 商店街と言う割に、店があんまりない……。
 町工場の類がぽつぽつと、食べ物屋や商店がぽつぽつあるだけで、こう、アーケードで店がひしめく商店街という感じではない。
 まあ十分も歩かないうちに、横浜駅に行けてしまうんだから、寂れるのも無理ないけど。
 歩くうちに、脇道があり、その先に寺が見えた。
 そのままスルーしようとして、ふと。
「フランス」
 ?
 フランス寺?
 改めて見ると、「史跡 フランス公使館跡」の石碑が、門前に立っていた。
 ああ、駅のところで見かけた、近くの寺社が領事館やら何やらになったという名残か。
 本当に何の改造もされずに使ってた感じだな。
 居心地悪かったんじゃないかな、しかし、それじゃ。
 また商店街に戻り、歩く。
 途中、もう一軒寺を見かけた。
 線路の向こう側にも大きい寺があるし、本当に寺社だらけのとこだったみたいだな。
 そもそも商店街名が「宮前商店街」だもんなぁ。

 商店街を一番端まで歩いて、少し引き返してから脇道の坂を上ってみる。
 ああ、公園だ。
 む?
 ねこ。
 ねこだ。
 首輪のない野良だが、近付いても逃げない。
 だったら、ちょっと撮らせて貰おう。
 うむ。
 大人しい。
 歩くと、ちょっと付いて来る。
 恐らく、餌付けされてるな。
 地域猫として可愛がられてるってなら良いけど、まあそういう呑気なもんでもないんだろうなぁ。
 不用意に触るとうちの権兵衛に病気を持ち帰ってしまう可能性があるので触れず、しばらく眺めて離れた。
 彼ないしは彼女に幸あれ。

 坂を下ると、線路に戻って来た。
 あー、そごう見えるな。
 本当、近い。
 じゃ、ぼちぼち横浜駅に戻るかな。
 ん、金網に看板がくっついてるな。
 防犯を促す町内会の看板だな。

「ドロボーに注意」

 直球だ……。
 しかし具体性を全く欠いている。
 会社の目標に「仕事をする」とか書いてあるのと変わらん。
 これによって何か事態が好転させられるとしたら、それはニュータイプ的洞察力のある人だけなのではなかろうか。

 こうして、神奈川駅近傍の探索を終え、横浜駅に戻り、リオでポークカレー大盛り+コロッケを食べて帰った。
 リオのカレーがまたちょっと値上げしていた。その代わり、トッピングサービス券の方は復活してるのだが、さて、上手く営業出来ているのだろうか。心配ではある。

<出費>
交通費:600円 海老名―300―横浜―300―海老名
昼食:750円 ポークカレー(600円)、大盛り(150円)
計:1350円



2009/1/16 『美人の不幸』
 テレビのトーク番組で、「自分の子供が可愛くて、爪とか耳垢とかを保存している」という事を言っている女性タレントがいた。
 中山秀征だったと思うが、「まさかうんちとか取っておいたりしないでしょうね」と言ったら、試みたが失敗したとかなんとか。
 百歩譲ってそこまでは分かる。
 けれど、それの使い道が「子供が二十歳になったらプレゼントしようと思う」と。

 あー。

 ヒデさんはジョブ「子分」の専用アビリティ「空気読み」をマスターしているので(他に、勝俣州和も習得)、「こんなに愛されてるって知ったら嬉しいでしょうね」的な反応で返していたけれど、まあ、セーフアウトで言えば、アウトの部類の人ですわな。
 昔、さんまのまんまか何かに女性アイドルだか何だかが出た時、ドングリをプレゼントしてさんまが激しくツッコミまくって泣かせたというエピソードがあったと思うが、なるほど。
 自分が良いと思っているものは、他人にとっても寸分狂いなく良いものである、と考えてしまう訳だ。

 これが、不細工であったなら、もしくは男であったなら、普通に「きもいよ、バカじゃね?」と言って貰えるというのに、それによって己の行動を正せるのに、正さないにしても自分の異常性を認識は出来るのに。
 そう考えると、脳の活動があまり活発でないにも関わらず、容姿の優れた女性というのは、或いはとても不幸な存在なのかも知れない。



2009/1/13 『時にはボカロの話をしようか』
 涙目……というネタは、手垢が付いてまっ黒なので、巡音ルカが月末発売らしい。
 ヴォーカロイドのキャラクター・ヴォーカルシリーズ、ようするに歌うソフトである。
 声の元になったのは、バブルガム・クライシスのプリス役で有名な浅川悠――いや、調べりゃ出るでしょ、他の出演作もさ。
 でも注目点はそこではなくて、英語と日本語の両方を歌い分けられる部分な訳だ。
 先行発表されたサンプル曲で、アメージンググレイスとか歌ってたもんなー、思い出してみると。
 これだと、日本のポップスは基本的に大体歌わせられる訳だ。
 こんな感じで、音源としての地位をガッチリ確立していくと良いなぁ。恐らくは、開発エンジンそのものが一般的になって、自分の声を使った音源が簡易制作されるようにもなるんではなかろうか。その意味では、このキャラクター・ヴォーカルシリーズが無意味になって初めて、音源として認められるのかも知れない。それは少々寂しいけれど、良い事なのだろう。

 アニメ『宇宙をかける少女』を観ていたら、CMにミクのフィギュアが出ていて、早送り止めて観てみたら。
 ん……アレンジは違うけど、聞いた覚えのあるイントロ、あれ、ひょっとしてこれって、まさか……おおっ! 『ハジメテノオト』じゃありませんか!
 ミクで一番好きな曲だよ。泣きが入ってメンタルコンディションが乱されるので、あんまり気軽に聴く事は出来ないんだけども。
 カラオケに入らないと思ってたけど、いきなりテレビに露出するとは思わなかった。
 願わくば、より多くの人に伝わって欲しいものだけれど、あのワンフレーズだけでは掴み難いだろうなぁ。
 あの曲のグッと来る部分というのはその後の「自分は何もない、けれど、歌う事だけが出来る」という、ヴォーカロイド歌声というものの大変に切なく、しかし希望の塊のような純粋さを表す一節な訳で。

 ヴォーカロイドという商品の面白いところは、二次元の萌えキャラを現実に引っ張り出せてしまった事だろうと思う。
 肉体も、心すらもなく、歌声だけがある、それが実に切なく愛しく感じられる存在。それが、作家の考えた物語の中の登場人物ではなくて、実際に販売されているソフトウェアであるという事。
 架空ではなく、現実に存在する商品であるという事。
 これは、未来に現れるであろう人間そっくりのアンドロイドに接するのと、根本的に同じなのではなかろうか。
 人が反応を作ったアンドロイドの言動に、アンドロイドそのものの魂を感じられるかどうか、それに対して、人がパラメータを操作したヴォーカロイドの歌声に、ヴォーカロイドそのものの魂を感じられるかどうか。
 どうも現状を見るに、受け手が二つに分かれ、平行線を辿り続けるそうだ。
 自分がどちらの立場を取るかと考えると、そこに魂はないのは間違いないけれど、受け手が感じる事は出来そうだなぁという、言うなれば「青い羽根の蝶から、青い色素が出るとは限らないんだぜ、スモーキー!」というような辺りかも知れない。



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