思い立ったが随筆


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2016/3/28 『思えば遠くへ来た……のかなぁ』第83回 雪の研究者中谷宇吉郎展:小樽市総合博物館

 前回に引き続き、小樽である(違う)。
 北大のメインストリートを通り、中央食堂の前に差し掛かると、六角形の記念碑がある。
 「人工雪誕生の地」と書かれており、これは北大常時低温研究室の跡地を意味するもので、中谷宇吉郎を始めとする研究者によって創立されたものである。
 彼の一文「雪は天からの手紙」というフレーズは、単なる感傷から来る詩の一節ではなく学術的な意味合いを込めているというのは、彼を語る時に頻出する事項であろう。文芸たる芸術の一端に身を置く者として、自然・必然の美をもって至上とする事は、美そのものを純粋抽出する事を目的とした美術芸術の敗北と考えられるので認めはしないが、このフレーズの美的な強さは覆しにくいものの一つである。

 で、彼の企画展が小樽の総合博物館で行われるとの情報を目にした為、行ってみる事にした。

 当日。
 昼前に列車に乗り、一路小樽へ。
 バスを使おうかとも思ったけれど、乗車時間も含めて乗り心地の差があるので、鉄道にした。
 毎度お馴染み函館本線。いしかりライナーだと三十分かからない。
 小樽駅へ到着ー。
 さて、歩けない距離でもないけれど、案外かかるのでバスにしよう。
 ICカードのSAPICAがそのまま使える。
 バスというのは、路線が複雑怪奇な事もあるが、この料金の扱いが面倒という事も使用に二の足を踏む原因になる。ICカード対応になった事で、慣れない路線であっても本当に気軽に使えるようになった気がする。
 小樽水族館行きで途中下車だな。
 一本逃して、その後の一本に乗り込む。
「水族館は今日休みですけど、良いですか」
 運転手さんが忠告してくれた。
 へえ、休みなのか。ほんの一、二週間の施設整備期間か何かにぶつかっている様子。
 今日はそこまで行く気はないので問題なし。
 旅行で北海道に来てたりしたらガッカリだろうが、それでも気にしない方が良い。そもそも、博物館と水族館なんてものは、同じ日に行くものではない。近場なら当たり前の話だが、旅行中の判断力は低いものである。
 自分の他にはひと組しか乗客のない、ガラガラのバスが出発する。田舎のバスって感じだが、真の田舎のバスは、朝と夕の一本づつしかなかったりして、終電感・生命線感が出てしまい、のんびり乗るって感覚が薄いんだよなぁ。
 博物館の手前辺りでバスを降り、博物館の入り口を目指す。
 車道と歩道の除雪に削られて、薄い板みたいになって残っているのを、ちょっと蹴って孔を空けてみたりしながら歩く。
 お、入り口……いや、閉鎖されてる。遠回りしないと駄目か。
 よし。
 客の入りの悪そうな車両型イタリアンレストランの前をスルーして館内に入った。
 受付で切符型の入場券を買って、企画展を目指して二階へ。
 常設展示は以前見ているからちらりと眺める程度で。

 体験型の科学展示のスペースがあって、その隣の部屋。
 中谷宇吉郎展会場に到着。
 真ん中に研究室の再現という事で、机や本棚が置かれている。ほほう、書類入れが木製だ。プラスチックと金属で作る物としか思ってなかったけど、そうだよなぁ。
 こっちはタイプライターかと思ったら手回し計算機だって。へぇ。パスカル式……だっけっか? ああ、そうでもないのか、色々な方式があるんだ。機械式計算機のエピソードが、パスカルの伝記でしか見たことなかったからだ。
 後は雪の研究や随筆の資料。
 雪の結晶スケッチが様々だが、ちょっとイラストチックでヘタウマ感があるのが微笑ましい。
 何で人工雪なんぞ作ったのか、という事だが、これは上空の天候状況の観察や推測が行えるという理由のようだ。
 つまり、気温が高くて水分が多い時に出来る結晶の形があって、これを実際に実験室で再現できるなら、結晶の観察がイコール上空の環境の推測に繋がり、更には「かつてない異常気象」による結晶もデータとして作ることができる。
 それを知る事は、気象の予報のようなものだけでなく、航空機の運航にも役立つようで、中谷は軍でも研究を行っていたようだ。
 終戦後、軍事にかかわる研究として成果を破棄するよう命ぜられた時に、「これは人々の為になるものだ」と、その命令を拒否したとのエピソードが添えられている。やはり、研究者キャラはそうでないと面白くない。研究者が持つべきは、純粋な知的好奇心であって、そこに善悪を挟むのは無粋というものだ。その解明「手段」において、善悪はあり得るが(人体実験や、研究費用捻出のための不正等)、到達点たる事実の探求に何の善悪があろうか。
 展示品には、彼が政府から研究のために借り受けた極秘資料なんてのもあった。
 展示を見ているうちに、放送が入った。
 間もなく、プラネタリウムが上映されるとの事。
 行ってみるか。

 プラネタリウムは、1階の隅に入り口があった。
 前に来た時は気づかなかったな。
 こういうところのシアター系は案外目立たないものだ。
 中に入り、椅子に腰掛ける。
 リクライニングの効き過ぎたようなふにゃふにゃの椅子で、そのまま天空を見上げられる。
 ああ、こんな椅子だよな。
 海老名の図書館にプラネタリウムが付いていて、小学校の頃は無料だったし何だかんだで見に行く事が多かった。特別星が好きとかではなくて、単に短編映画一本観るような感覚だった気がする。
 時間になり上映が始まった。
 係員の人の語りで導入し、冬空の星座の話から、星座の由来話の映像が流れ始めた。
 海老名図書館だと、全部既存の映像だった気がするな。
 由来話は、アイヌ民話による昴とオリオン座に関するもの。
 働き者の両親が死んだ後、自暴自棄になって7人の娘達が遊び呆けるようになった。これを働き者の三人の若者が咎めたが、娘達は聞き入れず船に乗って逃げ、これを神が見せしめに星にした。若者の方は、働き者である事を評価し、空の星にした、と。
 なんじゃそりゃ感が強いな。若者と娘の間になにやら惚れた腫れたありそうなものだが、そういうものは一切ない。どちらかというとこれは、「ねえ、あのお星様はなに?」「怠け者が星にされたものだよ。お前も怠けてるとあんなになるぞ?」「こっちの三つの星は?」「これは光も強くて働き者の星だよ。これはアレだ、怠け者を叱って追いかけているんだな」ぐらいのやりとりから発展したっぽいな。ギリシャ神話の、エンターテインメント性の高さと好対照な素朴さとも言える。ギリシャ神話系は、固有名も付いているしキャラがかなり立っている感じだ。

 プラネタリウムの上映後、もう少し中谷宇吉郎展と、常設展示を少し見て帰った。


<出費>
交通費:1,080円(琴似―540―小樽―540―琴似)
入場料:300円(小樽市総合博物館 冬料金)
計:1,380円


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