思い立ったが随筆


 日々思う由無事を書き連ねています。



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2017/5/28 『思えば遠くへ来た……のかなぁ』第97回 みかさしいかさし、アンモナイトはイカっぽいフレンズ:三笠市立博物館

 重度のアンモナイトフェチであるごんぱちにとって、三笠市立博物館はいつかは訪れなければならない場所であった。もちろん嘘である(どこから?)。

 久々に連休になったので、少し遠出しても良い心づもりで行き先を調べていたところ、三笠市博物館がヒットした。
 ……全然遠くはないが。
 ミュージアム系は、概ね普通に楽しめる場所なので丁度良い。内容としてはどうやら古代生物、化石系らしい。
 化石と言えば、学研の『化石のひみつ』辺りに毛の生えた程度の知識しかないが、どうだろうな。

 この歳になると、学研の科学シリーズは、しかし、影響力が大きいなぁと改めて感じる。
 細かい部分はともかくとして、化石で言うなら、フタバスズキリュウが鈴木という男が発見したとか、サメの歯の化石があって、天狗の爪と呼ばれていたとか、大理石に化石が埋まっている事があるとか、糞の化石があるとか、巣穴や足跡の化石があるとか、なんかそういう雑学っぽいのがあって、そこから派生する知識に繋がったりしていたりする。
 一番よく読んでたのは、植物のひみつだった。あれが多分、一番昔から家にあったヤツだった気がする。食虫植物のウツボカズラやタヌキモ、ハエジゴクとか、葉っぱに気孔がある事とか、日が当たらないと活動ほとんどしないとか、種が水と酸素で活動を開始するとか。後はからだのひみつで、胃では脂身が分解出来ず、バラバラになるだけだとか、小腸で栄養を、大腸で水分を吸収するとか。赤血球は酸素を食べて赤くなり、血小板は傷口を塞いで形まで変わって死んでしまうとか。
 あの手の物を何冊読んでいたかって、結構その後の知的好奇心の幅を決めるような気がする。情報は薄いが、その後を伸ばすための土台である興味を作り上げる訳だ。
 学校の授業というのもこれと同等のものではある。
 従って、「学校の教科書なんて何の役にも立たない」という意見は、全くもって愚かとしか言いようがない。単に面倒だから、理解出来ないから、劣等意識を感じさせられたから、苦手だからやりたくない、その言い訳をこねくり回しているだけだ。苦手は誰にでもあるのだから受け入れれば良いだけなのに。スキルは何であれプラスなもので、マイナスはそれを入手するためのコストの大小に過ぎない。

 三笠というと、戦艦三笠、三笠山が耳に覚えがあるが、これは奈良の春日山の手前の方であるところの三笠山である。んで、北海道三笠市の三笠は、「三笠山っぽい山があったから」という、権利系の何かがあったら100パーセント負ける名付け方である。「○○富士」と同じ感じだろうが、その似た山に至っては、ひねりもなく三笠山で、偽物感半端ない。

 ルートとしては、岩見沢駅からバスで一本のようだ。
 ではでは出発。

 開館直後に着くようにしたかったが、少しもたついたので二本目狙い。JR琴似駅から岩見沢へ。
 特急は高く付くし20分ぐらいしか早くならないので普通列車で行く。
 道中、松本清張の短編を読む。
 昔も少し読んだ事があったが、今改めて読むと、自分が考えるところの「平易な文体」というのが、これだなと思う。
 比較として渡辺淳一の文を思い起こすと、あちらはやや装飾の見られる文体という気がする。
 要するに、原体験として、自分の小説の定義に組み込まれているのかも知れない。
 尚、自分の原体験的文学作品を他に挙げるならば、落語本(子供向けと、旧仮名遣いのものいずれも)、那須正幹、江戸川乱歩、小松左京、星新一、夏目漱石、中高生になって、菊地秀行、柴田錬三郎、横溝正史、吉岡平辺りが、ぱっと浮かぶ名前か。翻訳物は日本語としての価値は二段階落ちるので、ここでは語らない。
 列車はつつがなく岩見沢駅に到着した。
 何だかんだでおなじみになってるな、このレンガとレールで飾られた駅は。
 正面から出て右手にバスターミナルがある。
 札幌から岩見沢までも都市間バスが通じているが、乗り心地と速度の問題があるので、よほどの端境で列車が来ない(まあ、それは珍しい状況ではないが)とかでなければ乗る価値はなし。
 バス用の切符を買い、到着を暫し待つ。
 あ、来てた。
 乗ろう。

 バスは東方向へ進んで行く。
 街を抜け、山が近くなって来る。
 さて、ようやく到着ー。
 ふむ。
 バスターミナルだが、博物館は……ああ、こっち方向か。
 方向は違うけど、なんか妙なものが見えるな。塔? のような足場のような、錆びた鉄骨の。文字が書かれているが、温泉の看板? よく分からんけど、後で気が向いたら近くに行ってみるか。
 道なりに進んで行くと、「三笠市立博物館」の看板が見えて来た。
 よし、到着だ。
 うむ、連休中という事もあり、親子連れがぽつぽつ見えるな。
 中へ入ろう。
 狭いロビーで、何かイベントごとをやっている様子。ええと、チケット売り場は、狭い受付窓口だ。
「鉄道記念館はご利用ですか?」
「いや、ここだけで結構」
「450円です」
 共通券があるらしい。
 チケットに温泉の宣伝も一緒に渡されたが、場所がよく分からんし、どうせ自動車移動ベースの遠そうな気配なので、まあこれは良し。

 よし、展示室へGO!
 というか、すぐ横だ。
 一歩踏み込む。

 お、アンモナイト。

 が、たくさん。

 凄いな。
 例えるなら、昭和の時代の公園や小学校の校庭に埋まっている馬跳び用タイヤ、あれみたいな感じで、ずらりと大型のアンモナイトの化石が並んでいる。数十個。
 へえ。
 大きいアンモナイトって、別にレアでもないんだなぁ(ひどい感想)。
 では、それ以外の展示を見よう。
 アンモナイトの記念撮影用原寸大模型か。直径二メートルって本当にこのサイズがいたんだろうか。
 こんなマンボウみたいなものが海にいるなんて……いや、マンボウと思えばそんなにおかしくないか。
 他の展示としては、アンモナイトの種類別標本。とんがったヤツとかは、コレクター人気が高いらしい。分からなくはないが。
 奥には恐竜や翼竜の模型が飾られている。
 奥にもう一つ展示室があり、特別展が行われていた。
 ボランティア団体の集めたアンモナイト化石だとか。
 大きいアンモナイトの発見した時の様子とか展示されてる。あんまり重いから、割って持って帰ったとある。確かに直径一メートルになろうかという化石は、もう岩と変わらんだろうな。
 札幌でアンモナイトを見た時、「虹色に光っていた」ものがあったが、こっちにもあるな。で、よく説明を読んでみると、これは殻の構造による反射のようで、瑪瑙化とはまた違う現象らしい。真珠貝の内側みたいに、虹色に光るアレの事。まあ色んな理由があるのかも知れないが。

 一通り見たところで、館内放送が入った。
「11時より、見学ツアーを行いますので、参加希望の方はロビーへ集合下さい」
 そっか。
 んでは、参加してみるか。
 もうすぐぐらいだし。

 集合場所に来たのは、10人に満たない程度。
 何だかんだで雪だるま式になるのがこの手のツアーだから、最初はこんなものだろうか。
 学芸員の人が挨拶して、先ほど見た展示室へ移動した。
 彼は、ところどころの展示の前で足を止め、ガラスケースの向こうの化石を取り出して見せたりしながら、豆知識的な注釈などを加える。
 で。
 三笠というのは、アンモナイトの産地として世界でも有数(数の世界一は、イギリス)であり、遠方の小学生ぐらいのマニアでもその名を知っているレベル。
 というより、そういうマニアの一人が当博物館の現館長である彼自身である。
 との知識が得られた。
 なるほど、三笠は有名なとこなのか。
 北海道はアンモナイトが良く出るってな話は、北大近くの弥永博物館で見かけたような情報だったが、こういう金脈みたいなのが存在するからか。
 子供などにも分かりやすいように、くだけた感じの説明の中にも、意外と知らない情報などあり、楽しめた。
 一番は、「巨大な化石の場合、普通に割って運ぶ」って事かな。

 一通り見終えた。
 隣の建物は、森をモチーフにした展示……ふむ。
 他は、あんまり奥まった方に行く気にはならないから、戻るか。
 来た道を歩き、バス停の近くまでやって来た。
 ……そうだ。
 さっきの訳の分からん塔っぽい建物、あれ、なんだ?
 歩く。
 歩く。
 お、全貌見えて来た。
 「奔別」の文字が付いた、鉄塔。巨大なウィンチ用のドラムが見える。史跡扱いのようで、説明書きが付いている。
 「旧住友炭鉱立坑櫓」ああ、炭鉱の立坑のエレベーターのような施設か。
 敷地の奥には建屋があるが、これも廃墟化している。
 社有地のようで、通常は立ち入り出来ないようだが、今日は連休のせいか開放している。
 受付っぽく人がいるが、特に何を書くとかもなさそうなので、そのまま敷地内へ。
 立坑は見上げるほど高く、五〇メートルほどの高さがあり、深さは七〇〇メートル超、東洋一の立坑櫓だったそうな。けれど、エネルギーの石油への転換や、事故などで結局廃坑となり、解体作業中にもガス爆発による死亡事故を出し、結果として放置されている状態なのだとか。
 随分曰く付きだな。
 錆びた鉄骨だらけで、その筋の人にはたまらんのだろうな。
 立坑の近くの地面が真っ赤で、鉄分がかなり混じっていた事を想像させる。
 立坑をひとしきり見上げた後、建屋の方に入ってみる事にする。
 屋根のトタンがぶらぶらしていて、これ落下したら死人が出そうだ。
 横部分がすっかり開いていて、そこから中を通る事ができる。
 具体的に何に使った建物かは、知識が乏しいのでよく分からないが、当時の物がそのまま置かれていて、坑内の安全を促すポスターが貼られていたりする。何かしらの展示用ではなく、本当にただ公開しているだけだな。持って帰るヤツとかいそうだけど、まあ、それはもうどうでも良いのか。
 閉山された炭鉱街のうら悲しさというのは、夕張でも感じたがこっちでも同様だな。
 廃墟が片付けられずに放置されているところが、一層その印象を加速させる。
 仮にまっさらに整地したところで、過疎化していく街で何の使い道がある訳でもないので、意味はないのだろう。

 その後、バスターミナルで丁度バスが来ていたので、さっと乗って帰った。


<出費>
交通費:2,800円(琴似―840―岩見沢―560―幾春別 往復
入場料:450円(三笠市立博物館)
計:3,250円


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