思い立ったが随筆


 日々思う由無事を書き連ねています。



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2017/8/29 『思えば遠くへ来た……のかなぁ』第100回 札幌国際芸術祭2017

 札幌国際芸術祭が行われるというので、会場に行ってみる事にした。
 ことにした。
 ことにし……。
 どこでやるんだ?
 というか、あちこちでやっているのは何となく広報とかポスターとかで見かけているのだが――
 
 公式サイトがどうにも見にくい。
 むしろ醜い。
 会場とかスケジュールとかの項目二つごとに一画面を使うデザイン、意味あるのか。
 知りたい情報があるのかないのかがまず分からなくなる。
 で、今見直して、ようやく共通のパスポートの存在を知ったよ。
 つまりアレだよ、パスポートを買うだよ、それで、市内あちこちの有料会場やら無料会場やらを回るだよ、それで市全体をでっかい美術館として楽しめって事だよ。
 でも、そのパスポートの存在が、公式サイトにヒットしてから、4画面分スクロールしてから、ようやく現れ、そしてそれがたった一行のテキストでしか表現されていない。
「芸術祭ってなんだ」
 ってキャッチが、「むしろ正しくそうだよ、お前分かってないよ」てな印象で終わる可能性が甚だしく高い。

 んで。
 パスポートの存在を知らない身としては、会場だらけという状況に戸惑う。

主な会場:
 モエレ沼公園/札幌芸術の森/札幌市立大学/北海道大学総合博物館/JRタワー プラニスホール/mima 北海道立三岸好太郎美術館/札幌大通地下ギャラリー 500m美術館/狸小路商店街/大通すわろうテラス/金市舘ビル/りんご/北海道教育大学 アーツ&スポーツ文化/複合施設 HUG/AGS6・3ビル/北専プラザ佐野ビル/CAI02/札幌市資料館/札幌市円山動物園/円山公園/札幌宮の森美術館/TOOV cafe/gallery/OYOYOまち×アートセンターさっぽろ/大漁居酒屋てっちゃん/UNTAPPED HOSTEL/WAYA/雪結(yuyu)/Ten to Ten Hokkaido Hostel & Kitchen/SappoLodge/めざましサンド店/THE STAY SAPPORO/札幌ゲストハウスやすべえ/札幌コンサートホール Kitara/扇谷記念スタジオ・シアターZOO/石山緑地/中島公園/札幌市電 ほか

 んー、んー、んー。
 よく分からない。
 メイン会場と言うべきは何なのか。そういうのは別にないのか。
 モエレ沼っぽいが、それにしても表現があくまで曖昧でよく分からん。

 仕方がないので、時間やら何やらの加減で行けそうな近そうなところを狙う事にした。
 今月の後半は何だか休みらしい休みが取れずにいたが、健康診断で午後から真駒内に行く用事があり、路面電車の内側辺りで夕方から会議があるので、これに合わせる事にする。
 午前中に芸術の森に行き、午後に健診、遅い昼食を取っていくらか時間を潰した後、会議と。午後は出勤にする考え方もあるが、休める時に休んでおかねば、と思うので、一応丸一日休みにする。

 当日。
 琴似、真駒内を地下鉄移動し、バスで芸術の森へ。平日だけどウロウロするので地下鉄の一日券を買っておいた。
 そこそこ乗客いるなぁ。
 芸術祭絡み……どうだろ、平日に。
 10分か15分程度で芸術の森に到着した。
 バスの乗車時間が短くて手頃だが、イメージは遠いなぁ。
 さて、と。
 会場は……メインの美術館と? 野外美術館と? ふうむ。
 元々、色々な施設が点在している造りだから、芸術祭と言っても導線ははっきりしないな。

 あの……ごんぱちがぼんやりしているのだと思う諸兄は、公式サイトのこの説明を見て欲しい

>NEW LIFE:リプレイのない展覧会
>美術館 / 工芸館 / 有島武郎旧邸 / 野外美術館
>点在する建物、野外美術館も含めた広大な森全体を使い、音を表現の入り口として、唯 一無二の活動を続けてきたアーティストたちの展覧会です。

 その「音の表現の入り口」ってのが、どこなのよ。
 特別仕様なのはどこなのか。
 それとも、普段の芸術の森がそのまま展示品なのか。
 まあ良い、美術館へ行ってみよう。

 と――。

 中に入ると、入り口ロビーから少し離れた位置にカウンターが作られている。
 ん、んん?
 チケット買うの? 買わないの?
「入場料とか発生しますか?」
「有料区画に入らないなら必要ないですよ」
 有料区画……ああ、あっちか。
 というか、そうでない箇所は別に展示品もないような、いや、なくもないな。カーテンが半分閉じたような場所から入れる部屋に、なんかワイヤーにスピーカーをくっつけたのがある。人が一人付いているが、案内役という訳でもない様子。これどうするの? 鑑賞の仕方が分からない。とりあえず中を歩いてみる。音があちこちから聞こえる? 音源がよく分からなくなるみたいなのか? 不明。
 次は、工芸館を覗く。箸置き売ってた。何か制作者の一人が客と話していた。作るの大変なんですよー、みたいな内容だったが、別にギャラリートーク的なそれではない。
 外に出ると、池のところでグラビアの撮影か何かをやっていた。水着とかじゃなくて、着衣の。遠目には可愛いお嬢さん的な画だったが、人だかりができてる訳でもないし、あんまりじろじろ見るのもなぁ。
 なんか見るべきものがはっきりしない。
 有島武郎旧邸も会場扱いになっている。この前見なかったヤツだ。
 どうだ?
 あ、これか。
 赤茶色の壁の、メルヘンチックな建物だ。
 へえ、こんなんだったか。
 中に入ると、
「いらっしゃいませー」
 ここは担当の人いるとこか。
 靴を脱いでスリッパで上がるタイプ。
 中は日本家屋というとちょっと違うか。大正とか昭和の近代建築ってところか。
 急な階段を上がる。
 と、担当の人が「音点(おとだて)」についての説明をして、パンフレットをくれた。
 有島武郎旧邸を含め、何カ所かに音を鑑賞出来るスポットがあって、その場所に足裏をモチーフにした足場が設置されている。
 ふむ、ここだな。
 立ってみると。
 微かに音が……でもこれ空調か何かだな。
 時間が時間なら鳥の声でも聞こえるのか? よく分からない。

 有島武郎というと『或る女』だが、その生原稿なんかが展示されている。
 稀代の『或る女』フェチであり、今まで72回ほど読み返した事のある自分にとっては、正しく垂涎と言わざるを得ない。この作品の素晴らしさはそのタイトルにあると言って過言ではないのではなかろうか。一般名詞であるところの『女』に、『或る』を付けた事によって、その『女』の特異性を表すと同時に、世に有り触れた一人に対して焦点を当てたに過ぎないとの表現にもなり、而して、世の数多の人々は等しくドラマティックな存在であり得るという世界の広がり、はたまた作者の深い人間愛を感じさせるものである。この作品はある意味で『女』が主人公であるが、男の存在を決して否定するものではなく、その『女』の生き様の一端として間違いなく息づいた存在であり、それは表層的な文章以外の部分からも読み取る事ができる。そしてそのラストにおいては、ある種の読者にとっては当然と思われる帰結に居たる訳であるが、作者の緻密にして大胆な構成を感じさせるに十分なものがある。そしてこの作品の根底に流れるものは、作者の人生観であり、生き方であり、いやむしろアンチテーゼであるとも言える。一言で語るならば名作の名に恥じぬ作品であり、好みの合う者にとっては生涯の一作となる事であろう。千の言葉を尽くすより、まずはご一読あれ。
 ちなみにこの文章には嘘が含まれている(ヒント:正…0 誤…72)。

 畳の上をスリッパで歩くのは心苦しいが、ここの作法なら仕方がない。
 一軒家としてはそれなりのサイズだが、何となく小さい造りで、いかにも家という感じだな。「旧邸」の文字に少々身構えるが、「有島武郎のお家」ぐらいで良い。
 さて、音点のパンフレットには、音点の聴けるスポットが書かれているが……これどこだ? 有島武郎旧邸はどこだ? ランドマークが不明で地図の基本が出来てない。いや、これ、野外美術館の中の話か。
 時間もそろそろだし、野外美術館は有料区画だし、前に行った事はあるし、どうも芸術祭仕様になっている訳ではなさそうだし、と、行かない理由が大体揃ったので帰る事にする。

 バスが来るまでの間、20分ぐらいあったが、自販機でウーロン茶など買って飲みつつ、松本清張の『二つの声』を読む。野鳥の録音をしていた有閑ムッシュらが、とある事件に巻き込まれ……という話。
 やはりこの人の話は状況が非常にすんなり頭に入って来るんだよなぁ。今何が起きてどうなっている、という感じがはっきりして小気味良い。栞を使わなくてもすぐに戻って来られる。
 例えば、時系列が前後する文章の場合、混乱しやすい。探偵物にありがちな依頼者がやって来るパターンで、「そう言えばあの時」を混ぜられてしまうともういけない。ぼんやり読んだり、間を開けながら読むと、てきめんに忘れてしまう。また、装飾過多であっても目は滑って頭に入らず、同じページを行き来する。
 ウルトラマンまたはライトノベルの祖、藤川桂介先生の教えに、「走りながら考えろ」というのがある。「こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、決めた→行動」ではなく、「行動→何故ならこういう葛藤をしたからです」とする事で、読者の主観としては行動の身体感覚の中に「考える」動作が織り込まれる。これにより、考えている最中もアクションは継続するので、躍動感、スピード感が出る。更に、記憶に残りやすくなり、可読性が高まる。記憶は、単体の事物よりも他の事象と絡める事で固定化される、英単語を覚える時に声に出してみる、書いて覚えるなんてのはそれだし、夕食のメニュー一つとっても、旅行の記憶と結び付けば小鉢一つに至るまで思い出せるだろう。

 行動ありきであれば、回想による補間が必須で、これは時系列の逆転になるからストーリーの混乱になるではないか、と、考えてしまいがちだが、「Aという証言者に話を聞きに行く」「Aを踏まえBという新たな事態が発生する」「Cという証言者に話を聞きに行く」という構造にする事で、行動と証言に結びつきが生まれ、読者内で擬似的な連続した時系列が形成できる事で混乱を回避出来る。

 松本清張作品では、この傾向が見られ、「夫が失踪したという話を聞いて地方に行って、Aという世話になっている人のところに行ったが解決せず、東京に戻って親戚に相談をしたら、それを探しに行った訳知りっぽい親戚が行方不明になって、新たな手がかりがあるから地方に行って確認をしていたら、親戚が死んだという情報が入ってたので警察に行って――」と、結構な行動、特に移動を伴う。これを「夫が失踪したので、関係者を警察署に集め事情聴取をした。A氏は○年前彼とこのような事があった、B夫人はこのような事で夫と関わりがあった、Cの情報によれば夫はかつて警官をやっていた――」となると、取調室の一場面だけの舞台演劇のダメなのみたいになって、一つ一つの証言は読み飛ばされ、種明かしをされた時に「え、そんな事あったっけ?」となり、感激が薄まる。
 いずれにせよ、理によって解釈出来る辺り、参考に出来る部分が多い気がする。

 そうこうする間に、バスが来たので真駒内に戻り、健康診断を受けた後、札幌市役所で遅めの昼食をとる。
 札幌市役所の食堂は、種類も多く品質も高めだけど価格は安めなので割と利用している。
 でも時間ずれて、メニュー数が少なくなってるな。
 ざるそばの大盛りぐらいにしておこう。
 弁当とか良いんだけどね。魚の切り身とか、イオン弁当と比べると3倍ぐらい厚みがある感じで、540円ぐらいで。

 その後、とらのあなを覗いたり、VIE DE FRANCEでコーヒー飲んだりして時間を潰した後、会議に出ようとしたが、中止という事を知らされ家に帰った。
 会議の中止はもう少し早く言っておいて欲しかったなぁ、せめて、昼飯食べた後ぐらいとかさぁ。こういうので休みが中途半端になるんだぞ、もう。
 どっか別のところで休み入れるけども。
 休もうと思えばどうとでも休める立場だし。仕事は溜まるけど。


<出費>
交通費:580円 (真駒内―290―芸術の森入り口―290―真駒内:じょうてつバス)
交通費:830円 (琴似――真駒内 真駒内――琴似:札幌市営地下鉄 一日切符)
麦茶:120円
昼食:460円(ざるそば360 大盛り100:札幌市役所地下食堂)
計:1990円


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