思い立ったが随筆


 日々思う由無事を書き連ねています。



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2021/3/31『思えば遠くへ来た……のかなぁ』第143回 彫刻を見る時はしゃがむ勇気が必要だ:「猫まみれ展」北海道立近代美術館

 新型コロナ禍で丸一年ほど、外に出る企画にはしていなかった。
 で、今も何だか怪しい感じにはなりつつあるが、そこそこ感染の少ない状態ではある。
 生活習慣も概ね根付いた感じではあるし、という事で、情勢を見ながらではあるが外出ネタに戻す事にする。

 地下鉄駅を通る時、「猫まみれ展」のポスターが目に付いた。
 こちとら三度の飯を猫にするぐらい猫好きである(一部嘘)。マグカップや皿にも、猫が出て来る漫画の絵が入っているという猫好きである(本当。但し、レギュラーの猫は爪痕しか見せない。絵としての猫は出て来るが、登場は少ない)。
 家に帰って調べてみると、日時指定の前売りチケットで入場制限している――ところから、当日券も扱う程度に緩和されている。
 ふむ。
 平日に当日券目当てで行ってみるか。

 当日、道の雪も大体とけ、目の付くのは土の上に少しまとまっていたものぐらいになった。
 という事で、自転車再開。
 去年はコロナ関係でマスクが鬱陶しくて通勤も何か理由があれば使わない事になっていたので、今年は出来るだけ乗っておきたいものだ。
 事前に保険の更新がてら自転車点検をして貰い、ついでに前輪の交換もしてもらっている。快調に走る。こいつにはあまりきちんと乗った記憶が薄い。確か、2019年の冬の直前に買ったんじゃなかったか。
 程なく、北海道立美術家に到着。
 駐輪場には一台だけ自転車が停まっていた。

 入り口から中に入ると、非接触の体温計と消毒が設置されていた。
 こちらに気付いた職員の人が来て、緊急時連絡先の登録を求められる。
 投票所みたいな記入台で記入する。内容は来館日時と代表者名と連絡先を記入するだけの簡単なもの。書き終わったものは、箱に入れる。なんか、本当に投票所のそれだな。何かあった時に連絡をして貰える用だと思うので、嘘を書く意味はない。
 ここまでやっているのは道立のせいか、それとも最近はこの手の場所はこんななのか。映画館とかどうなんだろうな。
 特別展の当日券の売り場に行く。通路が仕切られているが、そこまで客でいっぱいになったのだろうか。少なくとも、今日は誰も並んではいない。
 入場料1300円支払って、チケットを貰う。

 では会場へ。
 ふむふむ、猫まみれ展の解説文。

「個人の酔狂な蒐集家が集めたもの」

 あ、そういうものなのか。
 こう、あちこち集めたのじゃなくて、個人のコレクションなんだな。

 まずは猫の絵、そして猫の絵、さらに猫の絵。
 ――猫まみれだな。
 絵の中に猫が含まれるパターンもある。
 浮世絵の中にもよく出ているな。美人画のオプションとして含まれるようだ。逆に、男の絵(役者絵?)のパターンはないな。浮世絵は平面的で、擬化されたものの印象だが、猫の部分はやけに躍動感がある。日本式アニメと、アメリカ式カートゥーンが混じってる感じ。
 アメリカのカートゥーンというと、あのマーベル推しは一体何だろう。
 駄目とは言わないが、駄目とは言わないが、なんかそればっかりだと宣伝のサムネを見るだけでお腹が膨れてしまう。
 拒絶感を持たずに見るべきか。でも、スーパーヒーローとヴィランの、どうせ決着の付かないプロレス感や、別の世界線ではどうの、二代目がどうのみたいな、金箔職人的引き延ばし感が超嫌。話途中で終わる事が約束されている物語を一体誰が見たい? まあ、観たい人がいるから売れてるんだし、どこかで和解しなければならない。
 紙と和解せよ。
 神 と和解せよ。
 ネ申と和解せよ。
 ネ田と和解せよ。
 ネ口と和解せよ。
 ネコと和解せよ。
 ふむ、猫の……あ、彫刻。
 なるほど。
 立体は良いな。
 実家で猫を飼っていたこともあり、猫というのは元来立体の印象が強い。
 こっちのラインと、こっちのラインの流れがこう、立体的な視点で辿る事の面白さがある。
 大体猫というのは、流体に属する生物であって、その曲線美に一日の長がある。
 更に手触りについては、柔らかな毛並みをそのまま肉と骨に適用したような、ぐんにゃりした身体であって、これをちょいと整えて抱く。この柔らかさは官能的とも言える。池波正太郎の鬼平犯科帳の中だったと思うが、「骨のないような身体をした」男を惹きつける女体の描写があったが、多分猫の発想だと思う。猫を抱き慣れた後に犬に触ってみると、仔犬であってもあまりに頑健な骨格に違和感を抱く。
 なるほど、猫は立体の存在感が強いな。いや、猫に限らずなのかも知れないが。

 見ているうちに、ぼちぼち客が増えて来た。昼の直後だったから空いてたのか。確かに近所の美術館の特別展なんてのは、一日潰す程ではないから、午後から少し落ち着いて覗く感じはあるかな。
 その後、一通り展示を見終えて、美術館を後にした。
 
<出費>
入場料 1300円(特別展のみ)


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