思い立ったが随筆


 日々思う由無事を書き連ねています。



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2022/7/31『思えば遠くへ来た……のかなぁ』第159回 エヅプト:ライデン国立古代博物館所蔵古代エジプト展 北海道立近代美術館

 今月もどこなりと出かけようと思って検索していたところ、お馴染み北海道立近代美術館で、古代エジプト展が行われている事に気付いた。

 イージプト(英語)
 エジプト!!(「アフリカ!!」風に)
 エヅプト(インターネッツ黎明期のネタ)

 大体、ミイラの展示があると言われるとおどろおどろしい感じになるけれど、「別に怖くなかったよ」みたいな感想で締められるので有名な、世界四大文明の2番手!
 しばしば見かけるものの、タイミングが合わずに行けた事がなかったんだ。
 よし行こう、是非行こう。

 という事で出発。
 お馴染みその2、西18丁目駅で下車して、北海道立近代美術館に向かう。
 前は自転車の移動圏内だったのだが、コロナ以降、マスクをしたやらしないやら気になって、結局ほとんど自転車に乗る機会がない。
 自転車は有酸素運動なので、ああいうものは効率に直結する。
 別に自転車移動中にマスクなんて要らない訳だが、李下に冠を正さず、リカちゃんに父親の事を正さず、迂闊な事をして妙な輩に絡まれても困る。そうこう言っているうちに、また感染者が増えて何だかかんだか。

 美術館に向かう道で、中学生か何かの一団を追い越す。
 同じ行き先かな?
 思いつつ、北海道立近代美術館に到着。
 中に入ると、チケット売り場と入場口が軽く仕切られた形になっていた。
 他の観客は割合に多め。
 流石はエジプト、人が呼べるイベントだ。
 まずはチケット購入。1800円。
 ん、リピーター割引なんてあったのか。他の特別展の半券で割引になる、と。
 知ってれば何か持って来られたのに。まあいいや、次回に活かそう。

 早速中へ。
 ああ、人が多め。
 学生もいるな。
 中学生だろう。
 同じような制服だけど、高校生と中学生って、案外見分けが付くものだな。
 身長もそうだけど、シャツの白さが妙に強い感じがする。

 まずはロゼッタストーンの印刷。
 エジプト文字のヒエログリフと対訳の形で、民衆文字、ギリシア文字が並び記された、ヒエログリフ翻訳の鍵となったもの。内容は、プトレマイオス5世を讃えたり、礼拝方法を伝えたりするもの。
 これがなかったら、エジプト文明のかなりの部分が謎のままだったのかしらん。
 メソポタミアのくさび形文字は、こういう解読に関わる発見はどんなだったんだろうな。ハンムラビ法典が解読されている以上、何かあったんだろうけど。
 黄河文明は、断絶がなかったが故に、漢字の使用者がそのまま残って解読という概念が要らない程で、ここに「日本語をアルファベットにしよう」とか「英語を日本の公用語に」みたいな議論がいかに暴論であるか見えて来る。文化の多様性が何故必要かと言えば、環境変化に対応出来るから、というごく単純な生物学的発想でしかない。言語は思想信条を伝えるものであって、思考そのもののパーツでもある。
 英語に切り替えた瞬間、マグロとカツオは同じtunaになり、当然料理法もハイスピードで失われていく。恐らく、少数派であるカツオのたたきは消失する。tunaとtunaで値段が違うのはおかしいから、統一的に扱われる。様々なtunaが混じって、料理法が安定しないから、オイル漬けの缶詰で使いやすくする。マヨネーズで和えればとってもおいしい。
 さて、この世界において、江戸時代の文献が発見されて「初鰹」のワードに気付くが、first tunaとして、すしざんまいの映像の説明に追記される。すなわち、江戸時代でも初競りのtunaが大変高価に取引されていて、女房を質に入れてでも食べたいtuna、というのは味わい云々ではなく希少性と釣り上がった価格の事と考える。
 その説明が浸透した後に、北大路魯山人の文章が発見される。「陰鬱たる冬を終え、春の青葉の頃、これに合う爽やかな肴を欲するところに、粋でいなせな縞模様を付けたtunaが出るからたまらない」さてさて、tunaの縞模様とは一体なにか。粋とはchicだから、はあ、上品なのか? 垢抜けている? なるほど、映える盛り付けをしたシュリンプカクテルみたいな料理なのか!
 近似を良しとするうちに、伝言ゲームでどんどん失われる。
 言葉は変わる、それは仕方がない。だが、出来るだけ残しておいた方が良い。
 理由は単純で、その方が読める文章が多くなるから。個人の話に限らない、人類全体が、残存している記録のどこまでを読み取る事が出来るか、というのが種としてのパワーなのだ。

 さて、展示物。
 様々な工芸品などもあるが、どれもやたらヒエログリフが刻まれている。
 寿司屋の魚湯呑みみたいなものだ。
 絵は例のエジプト壁画の漫画タッチとでもいうもの。
 つか、文字があってデフォルメした絵が添えられてるって、要するに漫画表現だ。技術的に動画が存在しない時代にあって、物事を伝達するに最も具体的な手法であったろう。
 あ、これは色がついてる。
 うわぁ、こんなに鮮やかな色が残ってたのか。
 エジプトの気候は、本当保存に適していたんだな。
 日本だと苔やらカビやらの一つや二つや三つ、瞬く間に生えたろう。砂に埋もれたか?
 でもそもそもはエジプトは沙漠ではなく、緑豊かな地で、灌漑やら何やらで沙漠化したみたいな話もあった気がするが。何にせよ、日本ほどに湿潤ではなかったのは確かだろう。
 しかしヒエログリフの使用率凄いよな。
 模様みたいなもの全てに意味のある言葉が刻まれていると考えると、確かに吉村作治教授が夢中になる訳だよ。
 ただの人形について意味を考えるのと、そこに解読は出来ないけど明確に文字が彫られているのとでは、全然違うものな。「正解」が存在するという意味で。
 学校の勉強だけでは云々、教科書より大事な事が云々みたいな事を言いがちな人がが知るべき事は、正解という概念はむしろ貴重って事だよな。
 達成感自体を学べるのも、学業というものだろう。それを学ぶ機会のない子供は、いきなり職人や農民の世界に放り込まれる訳で、正解というものがよく分からないまま、手順の積み重ねから覚えていく。それは人間の寿命や理解力のリソースからすると相当能率が悪いもので、結局それ以外の知識が入り込む余地がなく、階層は固着化され、個の才能は塗りつぶされ社会のパーツになっていく。
 まあ、何をやっても駄目な子供だった場合、劣等感だけが残ってしまうのは確かだが、音楽体育美術まで科目としてあるので、何かしら一つぐらいは見つける姿勢でいるべきなのだろう。
 尚、何をやっても駄目な子供とデザインされたのび太は、射撃とあやとりが人類の外れ値になっている訳だが、これは美少女漫画のモブは画風的には美少女だが設定上は美少女ではない、というのと大体同じだろう。ドラえもん世界では、スポーツとしての射撃は存在せず、あやとりが出来ても下らない事として、評価はされないという事なのだろう。
 まあ、話の都合で適当に付けた属性が、映画版とかで使いやすいので残ったってぐらいだろうけど。
 彼の特技の一つに、ピーナッツを投げ食べするというのがあるが、これは残ってなさげだしな。これが本当にキャラクタの技能として存在するなら、物を正確にコントロールして投げる事が出来るという意味だし、それを口で捉えられる動体視力などがあるということ。ゴミ箱にゴミを投げ入れる事も出来ないという別の話と矛盾してくるので、1回限りだろう。
 恐らく、1話完結のドラえもんは続き物というよりも、スターシステムで描かれている別々の物語とすべきだろう。

 大トリの展示、ミイラの棺桶とミイラ。
 やっぱりミイラだねぇ。
 ミイラ・ヤシマ
 木乃伊と書くが、どこをどうやってもそう読めないやつだ。
 ずらりと棺桶が並ぶ様はなんというか、やっぱり不気味。
 顔を描いちゃうセンスが、何とも言えない不気味さだよな。
 無表情だからか、というと、ニコニコしてても中に死体が入っている以上、やっぱり不気味か。
 当時の人の感覚としては、故人の遺影ぐらいの感じだったのだろうか。
 中にも絵が描かれていて、こっちが表というのは分からんでもない感覚。
 時期を経るに従って、足の台がなくなったりするとか、微妙に様式の違いがある。
 中にタール状の汚れが付いているものがあったが、ありゃあ何だったんだろうね。
 中身のミイラも展示されていたが、繭のようにがっちりと布で固められていて、人の形も分からない。中を解析したCTスキャン映像が流れていた。
 昔はミイラも中身を開けるしかなかったんだろうが、開けても開けても死体しか出て来ないとなって、初期の盗掘者はさぞかしがっかりしたろう。絶対、高価なものが入ってる可能性について考えるよな。
 あ、こっちは内臓壺だ。
 ミイラを腐らせないように、分けて保存するもの。
 こういうミイラや剥製用の加工はエンバーミング、で良いんだっけな。スカイリムで加工道具がゴロゴロ落ちているけど、ほとんど金にならないやつだ。
 この微妙なおどろおどろしさは古代エジプト文明には付いて回る。
 もっとも、遙かにおぞましいのは、大量のミイラを発掘した後に、見世物にしたり薬にしたり燃料にしたりと有効利用しまくった後世の人間かもしれない、みたいな普通のまとめ方。

 ミュージアムショップでは、サンリオ系のエジプトグッズなんかが売られていた。
 やっぱり中学生多い。自由研究か社会科の宿題の題材でオススメにされている可能性がかなり高いな。
 しかしここまでエジプトの遺物が綺麗に残っているものというのは、実物を見て初めて分かった。いや本当、見ておくものだ。
 美術の個展と同じぐらいの入場料で、億倍の価値あるものを見られるのは、博物館的なものの面白さであり、逆にこれと張り合う美術というものの不遜さにはある種痺れるものがある。

<出費>
交通費:520円(琴似―260―西18丁目:往復)
入場料:1800円(古代エジプト展)
計:2320円


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