思い立ったが随筆


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2022/9/28『思えば遠くへ来た……のかなぁ』第161回 はんかしーぞぅ?:『国宝・法隆寺展』 北海道立近代美術館

 法隆寺と言えば、降と隆が分からずに社会のテストで減点される事で有名である。
 あのヤクザみたいな先生、今は元気だろうか。

 北海道立近代美術館率が高いが、そういう時もある。

 前に北海道立美術館に行った時だと思うが、法隆寺展がある事を知った。
 法隆寺と言えば、石を投げたら国宝に当たるのですぐに逮捕、で有名だ。
 法隆寺所蔵として様々なものがあるが、やはり切手にもなった伝如意輪観音の菩薩半跏像が有名だ。って、それ中宮寺だな。でも隣だから良いらしい。
 そういう有名処が展示されるとなれば、見に行かざるを得まい。
 国宝の類は見られる時に見ておかないと後悔しかねない。千年以上昔の人が作ったものが見られるというのは、一期一会、それだけでとんでもない奇跡と考えなければなるまい。

 久々に自転車移動を、と考えて行ってみたが、休みだった。
 定休日ではなかった筈、と思ったら、祝日でずらされていた。
 そして仕切り直し。
 土曜になってしまったが、早い時間なら混雑もあまりしていない筈。
 別件で地下鉄に乗る用事もあったので、自転車はやめておいてドニチカ切符で西18丁目へ。
 結構な雨の中、勝手知ったる道を歩く。
 程なく北海道近代美術館が見えて来たので、法隆寺展の看板の写真を撮ろうとしたところ、結構な量の水がこぼれてズボンにかかった。雨の中だと扱い難い。

 美術館前に行くと、次々に観客がやって来る。
 この時間にしては思ったより多い。
 中に入ると、新型コロナ対策の消毒はあったものの、以前やっていた連絡先の登録はなくなっていた。色々、ゆっくりと終わっていくのだろう。
 ではチケットを購入。
 ここも行列にはなっていなかった。
 本当に混雑している時というといつ頃なのだろう。解説とかやる時か。
 チケットは、去年行った正倉院展の半券を出す事で、リピーター割引が受けられた。
 リピーター割引は1回で使い切りとの事で、半券に消印が捺された。
 これで1800円のところ1600円か。その他の割引とは併用出来ないのだろうな。

 特別展の会場に入る。
 開催趣旨などを見てから、最初に出て来たのが聖徳太子と王子2人の、いわゆる釈迦三尊像の真似のあの絵。聖徳太子及び二王子像というやつ。
 これ自体は「模本」とある通り、色も妙に鮮明だ。でも江戸時代の作だそうだから、保存状態が良いのか修復したのか。
 でも大学時代に、江戸の古本を見た事があったが、薄いが状態の良い紙が使われていたし、案外保存に向いてはいるのだろう。少なくとも酸性紙よりは遙かに。
 その先も様々な聖徳太子系の作品が並ぶ。
 良く見たら展示の半分以上が聖徳太子絡みなんだな。
 で、知らなかったけれど、「太子信仰」というものがあったそうな。
 聖徳太子は彼自身が僧侶という訳ではないが、日本に仏教が入って来た時に発生した神道と仏教の宗教戦争で、仏教側の英雄ではある。仏教に貢献した聖人といえば丁度良さそうだ。
 今の日本で人間に対する信仰というと、弘法大師が筆頭に挙げられそうだ。弘法大師がやや実体感がないのに比べて、聖徳太子は肖像画が流布しているせいで、より個人としてのイメージが強いな。
 太子信仰が流行った時期なのか、時代としては平安から鎌倉時代にかけての作品が多い。

 なるほど、太子信仰か。
 そうだったか。
 聖徳太子が飛鳥時代の人間にしては妙にエピソードが多いと思ったら、この辺に太子信仰フィルタが挟まって、整理なり捏造なりされていた訳だ。これに明治政府以降の天皇家の神格化フィルタも挟まるから、余計に色々あるのだろう。
 聖徳太子のやたらと良いエピソードばかりという存在の胡散臭さや、蘇我馬子と同一人説なども、単なる古さだけではなく、ディープな同人作家の作品が正史のフリして混じっているのだと思えば納得がいく。

 展示は菩薩の立像から曼荼羅などの仏教系の展示の他、十七条憲法の木版なんてのもあった。写経感覚で飾ったりしたのだろうか。居酒屋にある「おやじのこごと」みたいな感覚だったのだろうか。
 像は菩薩像が中心、というかそればかりで、如来像はない。鎮護国家のための仏教なら現世利益が中心の菩薩信仰に流れるのは分かるが、だとすると次の奈良時代で東大寺の奈良の大仏が盧舎那仏なのはなんなんだ、という事にはなる。
 これについては、「ともかくすっげえでっけえのを作るから、最高の神格のものにするんだぜ!」というぐらいのものかも知れない。辛うじて説法をやってくれる仏ではあるものの、観世音菩薩像の方が良かったんじゃないかな、とか、むしろ地蔵菩薩の石像なら銅メッキで水銀被害を出す事もなかったろうにとかは思う。

 ふむ、こちらは原寸サイズみたいな聖徳太子像だ。
 やたら漫画っぽい皇子達の作風は、流石に飛鳥時代ではなく、鎌倉時代のものだ。
 しかしエジプト文明には負けるものの、鎌倉時代の木造がこれだけ綺麗な状態で存在するというのも妙な気分だ。実際にはかなりダイナミックに修復されているのだろうか。奈良の大仏なんか、オリジナルは蓮が何枚かしかないとも言うし。

 最後にガチの飛鳥時代の菩薩像や鳳凰の細工など。
 1400年を超えてよくもまあ、木の細工が残ったものだ。
 この辺が日本の文化的な奥深さだな。
 メソポタミアもエジプトも途切れた訳で、ギリシャ・ローマも結局中世を経て残っているものは腐敗しないものだけだ。
 そんな中、温暖湿潤の日本でデリケートな木工の作品が残るというのは、文化が確かに継承され、同一の価値観が維持されたという意味だ。
 文化が途切れた時に起こる文化財に対する破壊行動は、タリバンの石仏破壊が記憶に新しいが、決してそれに限ったものではない。

 最後にこれは中宮寺の菩薩半跏像、通称で菩薩半跏思惟像。
 以前どこかで、切手のあの像は実際にはすごく小さい、と聞いた気がしたのだが、そういう事はなく、人間サイズか少し大きいぐらいだ。
 黒光りしており恐らく漆か何かで塗られたもの、多少ヒビは入っているが完璧に姿は保たれている。
 柔らかな表情と姿勢は、そのままひょいと立ち上がりそうでもある。
 これだけの作品なのに、作者の名前も伝わっていないというのがまた何とも言えない。或いは、公共事業として分業体制だった可能性もあるか。
 さて、この半跏思惟像の展示は通常とは異なり、かなり広く取られた空間の中央に置かれている。360度どこからでも見る事が出来る為、後ろの葉っぱ? の棒部分が竹(もしくはそれを模した細工)である事まで分かる。しかも柵やガラスの覆いがある訳でもなく、床にこれ以上入ってはいけない領域が指定してあるだけだ。
 実に像の特性を見定めた展示である。
 願わくば、このような展示がいつまでも続けられる程度には文化的であり続けて欲しいものだ。

 ミュージアムショップを覗いてから外に出ると、雨はほとんど止んでいた。

<出費>
交通費:520円(琴似―260―大通り―260―琴似:ドニチカ切符)
入場料:1,600円(リピーター割引利用)
計:2,120円


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